左ききのエレン

nifuni / 著 かっぴー / 著

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「本当にあったことを『思い出す』感覚」作家が物語と現実をリンクさせる理由|マンガ家と新人小説家 Vol.1

小説『明け方の若者たち』を刊行したカツセマサヒコが、友人であり作家としては先輩にあたる『左ききのエレン』の作者・かっぴーさんに会いに行きました。全3回でお届けするマンガ家と新人小説家の対談。初回はキャラクターの作り方と、物語の舞台設定についてです。

全てのキャラクターは少なからず作者自身の要素を背負っている

いやー、読んだよ、小説。

お!ありがとうございます。絶対に読んでないと思った(笑)。

あははは。対談とかの機会がなかったら、読まないかも。普段はマンガばかり読んでるから、小説なんて3年ぶりくらいだし。

かっぴーさんにインタビューするのも、cakesで連載していた『左ききのエレン』原作版第一部が終わった直後、2017年の9月以来ですよ。

あったね、懐かしいな。

あれから月日が経ち、僕も本を出したので、今日は改めてかっぴーさんに創作について聞いていきたいと思います。まずはキャラクター作りから。

『明け方の若者たち』の主人公は、カツセ自身がモチーフじゃないの?

そうですね、あのキャラクターの全てが僕ってわけではないんですけど。ただ、あの作品に出てくる登場人物は、みんな僕の要素を背負ってると思います。


『明け方の若者たち』(幻冬舎)近くて遠い2010年代を青々しく描いた、カツセマサヒコのデビュー小説。大手企業に内定が決まり、「勝ち組飲み」というイヤミなイベントに参加した「僕」と、会場の中で唯一つまらなそうな顔をしていた「彼女」との出会いから始まる青春譚。「こんなハズじゃなかった人生」の中で足掻く東京の若者たちを描いている。
(写真:https://twitter.com/yansukim)

そうなんだ。さすがにヒロインは違うでしょ?

いや、ヒロインすらも、何パーセントかは自分を混ぜていますね。

出会った人プラス、自分の要素を足してキャラクターにしている感じだ。俺もそうやって作ってるかも。

そうそう。それね、3年前のインタビューで、かっぴーさんがご自分で言ってたんですよ。僕、それを意識した気がするんですよね。

あ、本当に?それ、太字で書いておいてよ。


増やしたのではなく、元から存在した人物にカメラを向けただけ

今回の対談のために、改めてジャンプ+で連載中のリメイク版と、Cakesで連載中の原作版、それぞれの『左ききのエレン』を読み返したんです。


原作版第一部『左ききのエレン』かっぴーさん初の長編ストーリーマンガ。メディア『cakes』にて、2016年3月~2017年9月まで連載され、Kindleで電子書籍化。全13巻。天才になれなかったすべての人へ――。朝倉光一は、大手広告代理店に勤める駆け出しのデザイナー。いつか有名になることを夢みてがむしゃらに働く毎日だった……。もがき苦しむ日常の中で、高校時代に出会った天才・エレンのことを思い出していた。大人の心も抉るクリエイター群像劇。

リメイク版『左ききのエレン』 (集英社)nifuniさんを作画に迎え、ジャンプ+にて連載中。2020年6月現在、12巻まで刊行されている。

読み返すと結構ボリュームあるよね。ありがとうございます。

リメイク版では、「岸あやの」や「マリーン」といった、かなり個性的なキャラクターを新たに登場させていますよね。一度は完成した原作版に新たにキャラクターを足して、それでも物語には齟齬が起きないようにするって、結構ハードルが高いことだと思うんですが。


岸あやの
大手企業『AK』の社長令嬢であり、トップモデル・岸あかりの姉。周囲からは「あやの様」と呼ばれ、常に上から目線の女王様キャラ。彼女もまた天才である。

マリーン
ニューヨークで映画監督志望のルーシーのアシスタントを務める。年齢はまだ幼いが、頭脳明晰。ルーシーのことを心から慕っている。

ああー。

そんなことはない?

あのキャラクターたちは、俺が一度もカメラを向けなかっただけで原作版にも存在はしているの。リメイク版を作るにあたって、多めにカメラを回してるイメージなんだよね。

そうか、映画でいうディレクターズカット版が、リメイク版なんですね。そのままでも良かったのにわざわざ再編集しているのは、伝えたいことが増えたから?

いや、「ジャンプ+で連載する」ってことを少し意識しているんだよね。トリッキーなキャラクターである「岸あやの」を出せば、もうちょっと少年マンガっぽくなると思ったの。もともと「岸あかりの姉」という存在はいたんだけど、原作版ではわざと外してシンプルに見せていた感じ。


とにかく妹のあかりを溺愛しているあやの。どうしても欲しいと言われてあげたワンピースを「飽きたからもう返す」とぞんざいに扱われてもこの様子。 リメイク版『左ききのエレン』対岸の女たち編 第39話より

一方、原作版ではあかりの姉妹として登場はするものの、ほとんど出番はない。 原作版『左ききのエレンHYPE』第16話より

なるほどね!?リメイク版の学生ファッションショー編とかは、完全に「岸あやの」のおかげで超ポップになっていましたもんね。

そうそう。だからリメイク版でキャラを増やしているように見えるけど、実は増えてるんじゃなくて、カメラをそっちにも回しただけ。逆に削る方が難しい。削ると辻褄を合わせるのが難しくなるから。

そっかそっか。「ここは削らず描かないと、読者に伝わらないな?」というポイントは、たしかにありそうですね。

原作とリメイクの架け橋になる新キャラクター「マリーン」

リメイク版で特に印象的だったのが、ニューヨーク編(エレンの伝説編)なんです。


主人公の光一が広告代理店・目黒広告社で勤め始めた頃、エレンは生活拠点をニューヨークに移していた。些細なきっかけで訪れたギャラリーにて、エレンの名をアート界に轟かせる“ある事件”が起きる。 リメイク版『左ききのエレン 7』エレンの伝説編 第59話より

お!ありがとう。うれしいです。

ラストで、さゆりがルーシーに「もっと向いてる職業あるんじゃない?」と言ったことに対して、新キャラであるマリーンが怒るシーンが本当によかったんです。エレンが「こいつらは才能と戦ってる」と気付くところで、原作版で感じた熱量がそのまま出ていた。あれはリメイク版オリジナルシーンですよね?


「ザ・サウスポー(左きき)」の動画撮影が無事クランクアップし、打ち上げでのひとコマ。「やりたい仕事と向いてる仕事が同じだったら」とこぼすルーシーをかばうマリーン。 リメイク版『左ききのエレン 9』エレンの伝説編 第73話より

そうだね。そもそもマリーンは、原作第一部には出てこないし。

「才能と戦ってる」という印象的なセリフにたどり着かせるために、伏線としてマリーンを配置したんじゃないかと思っているんですけど、いかがですか?



マリーンを描こうと思ったきっかけは、この物語に、エレンや光一より下の世代が出てこないことに抵抗があったからなんだよね。エレンの一回り上の世代にはマチルダがいるし、もっと上にはアンナの世代がいる。エレンとさゆりはその中ではルーキーなんだけど、もっと下の世代も絶対いるはずだよなと思って。

なるほど、次世代の象徴がマリーンなのか。

読者はみんな「ルーシーの助手」くらいの記号で見ていたと思うんだけどね。その視点を裏切るとおもしろいんじゃないかと思って。

というと?

最初はただのルーシーの弟子みたいな扱いなの。でも「そこにいる」ってことは、何か役割を与えられているわけでしょ。ただ、読者はそこに対してなんの疑問も持たない。さゆりがマリーンに話しかけるシーンで初めて「ルーシーの弟子」という記号が揺らいで、気になってくるんだよね。


バンクシーを見つけるためにMoMAへと向かうメンバーから、マリーンを外したさゆり。まだ子どもでありながらも賢いマリーンの可能性を見抜いていた。 リメイク版『左ききのエレン 11』バンクシーのゲーム編 第94話より

わ、おもしろいな、その話。

「ルーシーの子分だからそこにいるもんなんだ」って自然と思い込んでいたけど、さゆりの一言で「この子って、ここにいていいんだっけ?」と疑問に思い、さらに「なんで子どもなのにずっと一緒に行動してるんだろう」とか「学校どうしたんだろう」とか、もっと気になってくるでしょ。

急にスポットライトを浴びるわけだ。そこから最後まで、存在感が強まっていきますもんね。

スター性のある小説家でもマンガ家でもいいんだけど、例えばある日突然、カツセマサヒコっていう小説家が現れた!ってことはありえないわけで。元から存在していたはずでしょ

たしかに。

でも小説を読んではじめて世間がカツセマサヒコを認識する。そういうこともあると思うのね。マリーンも同じ。次世代はすでに視界に入ってるんだけど、認識はされていない。その感じを表現したかったんだよね。

リメイク版を読むと原作第二部が2倍楽しめる?

cakesで連載中のHYPE(『左ききのエレン』原作第二部)にも、「藍澤一郎」や「家内千鶴」といった下の世代が複数名描かれているじゃないですか。HYPEで下の世代を描いたから、リメイク版でも下の世代のマリーンを描きたくなった、ってこともある?


原作版第二部HYPE『左ききのエレン』
メディア『cakes』にて2019年3月から連載中の第二部。第一部から8年後の2019年を舞台に、目黒広告社で確固たる実力をつけ、 人間的にも成長した朝倉光一の物語を描く。

いよいよ光一が率いる「朝倉チーム」が誕生。対アントレースのメンバーとして発表された彼らは、やはりクセ者揃い。 原作版『左ききのエレンHYPE』朝倉チーム 前編 第8話より

いや、逆かな。リメイク版でマリーンを描いたところで、HYPEにも次世代を増やした感じがする。

リメイクが先なんだ?

マリーンを描いてる途中から「あ、マリーンって俺が思ってるよりすごいやつだわ」って思ったんだよね。

おお、作者の想像を超えてきたと。

うん。もうネタばれじゃないから言うと、当初の予定ではマリーンは弁護士になる予定だったの

へえ! 弁護士!

マリーンにはクリエイターとしての才能はないし、学校にも通えていないけど、賢い。そこでさゆりに勉強を教えてもらったり、いずれはさゆりと結婚するであろう弁護士のジャックに弟子入りしたりして、弁護士になるんだろうなって思ってたの。

そこまで見えてるのもすごいな。

でもそれ、なんだか違うなーって。マリーンが抱えている“才能に対するコンプレックス”はもっと重たいし、たぶん知性を活かしたクリエイティブに進むんだろうと思った。それで「あー、そしたらコイツ、たぶん大成するから、アントレースに入るのありだな」って。


2018年のニューヨークで、マリーンはアントレースのサテライトスタッフとして働いていた。そこに至るまでに彼女が誰と出会い、どんなことがあったのかが紐解かれていくシーン。 原作版『左ききのエレンHYPE』On Your Marks 前編 番外編より

マリーンがアントレースに入社する経緯を描いた番外編は、リメイク版とHYPEをつなぐための架け橋だったんですね。両方読まなきゃ気付けない。

そうだね。物語のためのご都合主義のようにキャラクターを配置したり動かしたりするのは絶対に嫌なんだけど、物語の世界を真剣に考えれば考えるほど「こうならなきゃおかしい」っていう引力が生まれるんだよね。マリーンは、成功してないとおかしいと思った瞬間に、彼女の人生の新しい年表ができた。

「本当にあったこと」として描いている

年表といえば、『左ききのエレン』はフィクションだけど、時代や場所の設定は、リアルに基づくじゃないですか。1998年にエレンが「横浜のバスキア」と呼ばれてから2018年のHYPEまで、現実世界とリンクしながら描かれている。

そうだね。『明け方の若者たち』も、時代や場所はリアルだよね?

そうです。2012年から2017年までの下北沢や明大前が舞台で、そこにフィクションを描いてる。僕の場合は、エンタメ小説を書くにあたって「3.11」をどうしても書きたくなかったから、2012年から物語を始めたんです。エンタメ作品として描写するほど自分で消化しきれていないし、苦しすぎたから。

なるほどね。

でも、どちらの作品も、やろうと思えば時代設定をリアルにしなくても描けた気がするんです。「日本っぽいけど別世界」みたいな設定は、どうしてやらなかったんですか?

ああ、考えたことなかったわ。それは。

かっぴーさん自身の広告代理店時代の経験を基にしているから?

いや、なんでだろう。「本当にあったこと」として描いてるからじゃないかな

ああ、なるほど、「ここには山岸エレンという人が実在していて」って?

そうそう。だから「話が出てこない」とか「ストーリーが思いつかない」とかはないんだけど、「思い出せない」って感覚はよくあるね

実在しない人物なのに?怖いよそれ(笑)。

病気なんだよ、たぶん。あのときアイツどうしてたっけなーってなる。

すごいなあ……。

たとえば、マリーンがアントレースに入社するのは2018年だけど、リメイク版の2005年あたりではルーシーと一緒にいる。でもその間、マリーンは何をしていたんだっけ? 大学を出たところまでは覚えているんだけどな……とか。そこから現実の世界で起きている当時の出来事とかを調べ出すの。

おもしろい。

それで調べた結果、いろいろ思い出すんだよ。「そもそもルーシーがなんでニューヨークにいたのか、きっと映画のためだよな。じゃあそのあとは?きっと映画とかエンタメの熱量が高い場所にいるはずだ。2005年以降なら絶対にシリコンバレーだな」とか。で、そこで作品につながるの。「あ、マリーン、シリコンバレーであんなことしてたな」って。

じゃあ無限に設定が出てくるわけだ?

そう。あとはそれをマンガにするだけ。だから「思い出す」って感覚を得るために、時代設定だけはリアルじゃなきゃいけなかったんだと思う

なるほどなあ、めちゃくちゃ勉強になる考え方だ。


第2回では、キャラクターを極力減らすことにしたカツセと、200人近く登場させたいと考えるかっぴーさんの、対極的な考えをテーマに対談を進めていきます。

原作版 左ききのエレン(1): 横浜のバスキア
かっぴー/著
左ききのエレン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
かっぴー/著,nifuni/著
明け方の若者たち
カツセマサヒコ/著

※撮影現場では検温・手指の消毒・換気に注意し、最低人数の関係者のみで撮影いたしました。

取材・文/カツセマサヒコ(ヒャクマンボルト)

編集/むらやまあき(ヒャクマンボルト)

撮影/eichi tano