『左ききのエレン』ーー広告制作会社で営業として6年間働いた筆者にとって、リアルすぎて読むのがしんどいのに、面白すぎてページをめくる手を止められない、恐ろしいマンガだ。
本作は、東京の広告代理店勤務のAD(アートディレクター)・朝倉光一と、ニューヨークでアーティストとして活動するエレン、2人の主人公が織りなす物語。中でも光一がメインとなる東京パートでの広告業界の描写がリアルすぎて、まるで過去の自分を見せつけられているような感覚になる。登場人物たちも「こういう人いたなあ!」と、実際に仕事で出会った誰かに必ず当てはまる。
このリアルさが、どうしようもないほど共感を呼ぶ。もちろん、本作は広告業界に詳しくなくても楽しめるが、業界のことを知れば、より深く作品を楽しめることは間違いない。そこで、広告業界にいた人間ならではの視点で『左ききのエレン』の魅力を伝えたいと思う。今回は、主人公・朝倉光一について紹介する。
光一が勘違いキャラなのはワケがある!
光一は、武蔵野美術大学という美大を卒業し、「目黒広告社」という東京の広告代理店に勤めるADだ。
美大の卒業生が広告業界に入るには、選択肢は大きく2つある。
①広告代理店でADになる。
②広告制作会社でデザイナーになる。
という2つだ。一般的に採用の倍率は代理店の方が制作会社より高く、「代理店が制作会社に仕事を発注する」という、下請けの関係でもある。美大生は代理店のADを目指し、不採用だった場合は制作会社に行く、というパターンも多い。
そういう意味では、光一は狭き門を突破した「成功者」だと言える。光一は、「俺はなんでもできるんだ!早く活躍して認められたい!」という根拠のない自信に溢れ、周りから呆れられることが多々ある。しかしそれは、代理店に入社した時点で「自分は優秀なんだ」という優越感を持つことができる、広告業界の構造ゆえでもあるように思う。
広告業界のいびつさーー広告代理店と制作会社
広告クリエイティブが広告代理店で完結することはほとんどない。
ADはアイデアを考えて、手書きのラフ画を描く。そのラフをADの指示に従って実際にパソコン上でグラフィックデザインにするのが、制作会社のデザイナーの仕事だ。
この「代理店のAD>制作会社のデザイナー」の力関係は、経験や実力に関係なく、けっして逆転することはない。新卒1年生がベテランに指示をするということが起こり得るのだ。ここに、光一の上司である神谷さんの言う、「広告業界のいびつさ」がある。
仲間を増やすことが広告クリエイターの強さ
作中で最強クラスのADである神谷さんは、一緒に仕事をする人を尊敬し、気遣いができる人だ。光一は神谷さんの元で学んだおかげで、自分の無力さを自覚し、周りの人から学ぼうとする姿勢を手に入れることができた。
光一は第1部のクライマックス、絶体絶命の撮影現場で撮影所の名もなきスタッフさんに救われることになるが、それは日頃の尊敬や気遣いが生んだものだ。この成長物語を目の当たりにしたときは、本当に震えた。
現実でも、神谷さんや成長した光一のように、立場関係なく尊敬と気遣いができるADは強い。「この人のためなら頑張りたい」と言ってくれる味方の数が、広告クリエイターにとって強い武器になる。広告はひとりでは作れないからだ。
光一は現実に生きている人々と同じように、もがき、苦しみ、そして地道に頑張っているから、どうしようもなく応援したくなってしまう。本作には「天才になれなかった全ての人へ」というメッセージがあるが、これを身をもって発信しているのが光一なのだ。
10月からTVドラマ化されることが発表され、これからもっと世間からの注目を集めそうな『左ききのエレン』。リアルに生きる人々を描いたこの名作に、「広告なんて興味ない」なんて言うあなたも、ぜひ足を踏み入れてみてほしい。