本屋に行くと、「○○の方法」や「○○の仕方」という本をたくさん目にします。実際に売れているからこういった名前をつけることが多いのでしょう。と同時に、それだけノウハウやハウツーを求めている人が多いんだとも思います。実際にわたしもその1人です。
生き方も働き方も、そして流行も、取り残されないように必死でついていかなくちゃいけない。でもそれってどうすれば?
『昭和元禄落語心中』は、落語家の「生き様」を見せてくれる作品です。「生き方」じゃない。逃げたりもがいたり苦しみながら、それでも落語を愛した落語家たちのお話です。
物語のはじまり
刑務所を出たばかりの与太郎が、昭和最後の大名人・有楽亭八雲のところへ弟子入りするところから物語ははじまります。八雲の家で住み込むようになった与太郎。そこにはかつて八雲と2人で戦後の落語界を支えていた「助六」の娘、小夏がいました。亡き助六に代わり、小夏を育ててきた八雲ですが、そこには深い因縁があって…。
雲田はるこ先生により『ITAN』の2010年零号(創刊号)から2016年32号まで連載され、全10巻。第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第21回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した作品です。
2016年、2017年にはアニメ化、2018年にはドラマ化されました。
過去と現在がリンクする…!
八雲が「菊比古」だったころの「過去」、そして与太郎が出てくる「現在」ではリンクする場面が複数登場します。同じ舞台だったり同じ演目だったり。
特に、八雲が与太郎に助六の「居残り佐平次」を見せるシーンと、かつて助六がかけた「居残り佐平次」。そして終盤、3代目・助六となった与太郎が「落語をやめたい」と言っていた八雲に向けて披露するのは2代目・助六の「芝浜」でした。ひとつの噺が、時を超えてつながります。
漫画版の亀屋旅館の大広間のシーン、実は過去編と現在編とで構図を同じにしてあるんです。時を経て同じ場所で、菊比古と与太郎が師弟で視線を合わせるように。二人が座った位置、視界などにも思いを込めてあります。 #落語心中 pic.twitter.com/8PiRwxsYX8— 雲田はるこ (@KUMOHARU) February 17, 2017
こちらは同じ舞台で落語を披露する前の「菊比古」と「与太郎」。
花見行きたいね。今、みんなが花見してるところも、助六さんとみよ吉さんが出会ったのもこの場所なんです。 #落語心中 pic.twitter.com/AEYUdwyh86— 雲田はるこ (@KUMOHARU) March 25, 2017
助六とみよ吉が出会った場所はみんなが花見をしていた場所だったり。
場面に合わせた落語選びにシビれます
作中には落語がたくさん出てきます。
このマンガを読む前から落語好きだったわたしとしては、どの落語も読んでいて心に残るものばかりなのですが、特にグッと来たのは第4巻で助六がかける「芝浜」。このときの助六だからこそできた噺であり、後に与太郎が(八雲の受け売りでしたが)「落語は共感を得るための芸です」と言っていたのはまさにこのことだと思えるシーンでした。(他にも、自分の落語を見つけることができた菊比古の落語シーンだったり、八雲にもう一度落語をやってもらうために3代目助六となった与太郎が、2代目助六の落語をコピーして披露したシーンだったり。たくさんあって書ききれません…!)
「じゃあ、落語を聴いたことがなければ理解できないのか」というと、そうではありません。どんな噺かわかるように描かれていますし、それどころか「実際に聴いてみたい!」と思うはず。巻末には『寄席へ来ないか』など落語や寄席にまつわる番外編も収録されているので、読んでぜひ寄席に行ってみてください!
全10巻読み終わったときに残る読後感がたまりません
八雲が与太郎を弟子に取る「与太郎放浪篇」にはじまり、物語は一旦過去へと戻ります。「八雲と助六篇」では若き日の菊比古(後に8代目八雲)と助六が描かれ、そして与太郎が真打へと昇進した「助六再び篇」へ。
八雲、助六、そして与太郎という落語家たちが落語にどう向き合い、どのようにして自分の落語を見つけ、残していったのか。最終巻の終盤、人情噺の終わりへと向かうように、わたしたちをやさしく丁寧に導いてくれます。令和という現代を生きるわたしたち。まだ読んでいない方はぜひ読んで、浸ってほしい。