着たい服がある

常喜寝太郎

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着たい服があるということ #マンガ読書感想文2019 『着たい服がある』

昔、「スカーティスト」のショートショートを書いた。
「スカーティスト」はスカートを男らしく着る男性のことである。
最近ではこの言葉は消えて「メンズ・スカート」というらしい。

なんか共通点がありそうな気がしたから『着たい服がある』を読んでみた。

常喜寝太郎
着たい服がある

共通点あった。

入り江わに

強烈な印象の登場シーン。

メンズ・スカートではないけれど、好きな服を好きなように着る。
堂々と。
こういう男性像を書きたかったんだ。

…なんで書きたかったんだろう?

あの頃の私は、自分が自分であることが苦しくてたまらなかったはず。

役に立たない右手はいらない。
どこにも行きたくないのだから足もいらない。
誰にも会わないから顔もいらない。

絵が描けないことにじたばたして、テキスト書きになったんだった。

そういう視点だと『着たい服がある』のヒロインの苦悩は、くるなぁ。

響き方に、読者の個人差がかなりあるマンガだと思う。
自己肯定感を持っている人には、もしかしたら響かないのかもしれない。

だけど、「自分が自分であることに満足する」って、意外とできないよね。
特に日本は同調圧力強いし、周りからの「見られ方」を気にするよね。
大多数の人は共感できるんじゃないかなぁ。

『着たい服がある』は既刊4巻だけど、3巻までは一気に読んで欲しいマンガ。

ヒロインは背が高くてしっかり者で、大人っぽい服・パンツスーツなどが似合うと周囲から思われ、言われている。

本当に好きなのは、フリルやレースの「ロリータ」なのに!

ここで思い出すのが私が高校の教員やっていたとき、どうしても真っ赤な薔薇のコートを着て登校してしまう女生徒がいた。叱られるのに。

家庭が複雑で本人も闇を抱えてて、
「あの生徒は叱られてもああいう形で自分を支えなけりゃ生きられないんだ」と、事情を知っている同僚から聞いた。

服、ってなんだろう?

「着たい服がある」のに着られない。着たい服を着ているときが本当の自分?
では、主体は服でそれを着ていないときは偽物の自分なのか?

着たい服を着ている自分を他人は受け入れてくれるのか。
服は単なる飾りとどう異なるのか。

入り江わに

出会いを重ねていく魅力。

様々な人と出会うことによって、変わっていくヒロインが見せる笑顔。

ここまでは一気に読んで欲しいな。

入り江わに

三巻のこのコマの笑顔でひとくぎりだと思った。続きが楽しみ!

※夏休みの読書感想文って、構成も何も考えずに書きたかったんだ本当は。ってんで書いた。

【アル社長 けんすうより】 好きなものを好きと言えない同調圧力の世界から、だんだんと好きと言っていい世界のはじまりが来ていると感じます。 そのメッセージを伝えてるのはニュースでも難しいビジネス書でもなくエンタメだと思ってるのですが、読んだ読者が何を感じたのかがとても伝わりやすく、共感できる素晴らしい感想文でした!

【編集部より】 真っ赤なバラのコートで登校する女子高生。鮮烈なイメージを与えてくれるわにさんの記憶にハッとなりました。 服が寄り添い、大事な人の壊れそうな心を支えてくれる。それを知っているわにさんの読書感想文は、だからこそわたしたちに響きます。 いやもしかしたらそれは”服”でなくてもいいのかもしれません。 食も、人も、このマンガという作品も同じ役割を果たすことができます。 出会うことで生まれる未来の可能性、それをわにさんは教えてくれました。 ご応募、ありがとうございました!

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