2013年から2018年まで講談社「イブニング」にて連載されていた、松浦だるま先生による「累」(かさね)。2018年に実写映画化もされた本作は、醜い容姿によって虐げられていた少女・累の運命が、不思議な口紅により翻弄されていく物語です。
1本の口紅が、不遇な少女の運命を狂わせる
今作の主人公である少女・累は、多くの人から目を背けられるほどの醜い相貌をしています。しかし彼女の母は演技力抜群、なおかつ絶世の美女として有名だった女優・淵透世。大勢から愛された母は、累が小学生の頃にはすでに他界していました。
本当にあの淵透世の娘なのか、と多くのクラスメイトから嘲笑されながら毎日を過ごす累。そんな彼女の人生を変えたのは、母の形見として手元に残されていた1本の口紅でした。
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「本当に辛い時は、この口紅を付けてあなたの欲しいものに口付けをしなさい」
学芸会中のトラブルに紛れ、母の遺した言葉通りに口紅を引いて。これまで自分を虐めてきた美人のクラスメイトに口付けをした累。次の瞬間ふと鏡を見ると、なんと累と彼女の顔がそっくり入れ替わっていたのです。
母の秘密を知ってなお、同じ茨の道を歩み始める
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美人な彼女の顔のまま学芸会の演劇の舞台に立ち、クラスメイトとして喝采を浴びながらステージを終えた累。皮肉なことに彼女の演技力は、小学生ながらにまさしく女優・淵透世の娘に相応しいものでした。
これまで醜い自分に向いていた蔑視の視線とは180度違う、美しいというだけで自分に向けられる数多の賞賛や好意の眼差し。その中で累は「美しい顔で舞台の上に立ち、役を演じること」の楽しさを知ってしまいます。
そしてそれと同時に、幼い彼女はもう1つの仮説にも気付いてしまうのでした。「もしかしたら母も同じように、誰かの顔を奪って淵透世として生きていたのではないか」ということに。
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形見である口紅と母の秘密を知ってしまった累。それでも舞台の上で演技をした時の強い快感を忘れることはできませんでした。あの時の快感を追い求め、同時に演劇による自己実現の欲求も抱えながら。彼女もまた母と同じように、演技の道を歩み始めるのです。他者の顔を奪うことのできる、狂気に満ちた口紅を携えて。
累の囚われた美醜の狂気は、ありふれた容姿へのコンプレックスから始まる
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自らの容姿にコンプレックスがある。あるいは、自分の容姿を他人に笑われたことがある。そのような出来事は、きっと誰しもが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
その中には整形やダイエットで、コンプレックスだった容姿を克服した方もいるでしょう。あるいは大人になるにつれ、幼い頃や学生の頃に比べると容姿を否定されることも減った、という方もいるのかもしれません。
しかし昔受けた容姿への否定や抱えたコンプレックスは、想像以上に私たちの心の中に暗く重たい根を張っていることも多いもの。中にはきっとそれに気付かないまま、なんとなく生き辛いという感情で苦しむ人もいるのではないかと思います。
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口紅の力を使って人の顔を奪うのは決して容易なことではありませんし、善か悪かで言えば間違いなく悪でしょう。累の場合この口紅の能力を隠蔽するべく、顔を奪った相手の命を奪う、という強行手段を取ることにもなりました。
しかしそれでも、容姿への強烈なコンプレックスを今も尚何かしらの形で抱え続けている人は。きっとこの累のことを、糾弾することはできないのではないかと思います。それどころか美しい容姿を手に入れ、美醜の概念の中で泥臭く足掻く累の姿に。きっとこれまで感じた事のない、強い魅力を感じるのではないでしょうか。