シジジー、シジジー

雪魚 / 著

『シジジー、シジジー』ショタコンという秘密を持つ女教師と秘密を握った少年との愛と憎

誰にも言えない嗜好をもつ成人女性と屈折した少年の関係を描いたマンガ『シジジー、シジジー』が、本日2021年8月30日発売されました。本作は「ヤングスペリオール新人賞」を受賞した期待の新鋭 雪魚先生のデビュー作です。

少年しか愛せない「ショタコン」である長谷理(はせあや)は小学校の理科教師。ある日、6年生の生徒 世呂利(せろとおる)に秘密を握られいびつな関係がはじまる…。理への憎しみと好意を同時に匂わせる世呂に振り回される理、ふたりの関係を追う物語です。

本作は独自のウェブサイトを持たないスペリオール発デジタルファーストレーベル「ダルパナ」より各電子書店で単話配信される新しいカタチの連載マンガです。


今回は本作の発売を記念し、アルライター3人で座談会を実施!印象に残ったシーンを挙げながら、それぞれの感じ方を語りました。

※本記事には『シジジー、シジジー』のネタバレを含みますが、作品の読前読後、いずれのタイミングでお読みになっても『シジジー、シジジー』の読書体験を阻害しないよう最大限の配慮は行っています。気になる方は以下試し読みをお先にお読みください。

座談会に登場するライター

そふえ

マンガで社会勉強!を地で行くおかん。社会問題、歴史、科学など学習マンガの作品レビューを中心に執筆。

ちゃんめい

作品のレビューやインタビュー記事、特定のテーマに沿った企画記事、イベントレポートなど幅広く執筆。今月のマンガ代が支出の半分に達し焦っている。

Kanna Sato

2021年4月アルにジョインした新人。社会学や人類学の視点から作品を読むことが多い。今回の座談会では進行役。

アルライター座談会スタート

本日はよろしくお願いします!いきなりですが「ショタコン」の語源はアニメ『太陽の使者 鉄人28号』の主人公 金田正太郎からきてるらしいですよ、正太郎コンプレックス=ショタコン。ロリコンの対義語的に生まれた言葉のようです。

原作マンガ『鉄人28号』はこちら

えーすごい!アニメから来てるんですね。

すごくかわいい少年だったんですね!

では、さっそくそれぞれ印象に残ったシーンを挙げていきましょう。ちゃんめいさんいかがですか?

天文学で説明しにくいことを表現

私が気になったのは、p.17で長谷先生が「月はいろんな形にその表情を変える」と言いながら、テストの点数かと思いきや生徒に点数をつけているシーンです。

作品タイトルもそうなんですが、月や太陽など天文学を用いて説明しにくいいわゆるショタコンと言われる性的嗜好の側面を表しているのがとても印象的でした。

『シジジー、シジジー』って天文学から来てるんですか?

そうなんですよ、「シジジー」が太陽と地球と月が一直線になることを意味する天文用語で。第1巻では長谷先生と世呂くんと甲斐先生(長谷先生の同僚男性)の3人が主要人物として出てきたので、それを表してるのかなと思いながら読みました。

甲斐先生は長谷先生よりも年下の男性教師。生徒からも教師からも人気がある。

太陽と地球と月、それぞれが誰っていう予想はありますか?

そうですね、長谷先生は自分で言っているので月、世呂くんが良くも悪くも長谷先生に光をかざすところがあるので太陽かなと思ってました。甲斐先生はいまのところノーマルな人として描かれているので地球なのかな。

なるほど~!たしかにそういう間接的・文学的な表現がたくさん出てきたのは私も印象に残っています。

弱い存在を愛でる心と性的欲求

もう1つはp.146の見てて胸が詰まるシーン。ここで長谷先生がショタコンになるきっかけが垣間見えてきて。

彼女はペットのように自分より弱い存在である小さい男の子に愛情を注ぐことで、大人の男性に虐げられた過去の自分を救済しているのかな...と思ったのですが、本人は自分がなぜ特殊な性癖に目覚めたのかを咀嚼できていない。


少年を愛する自分の欲と一般的におかしいよねという理屈との不和が常にあって、その葛藤が詰まっているシーンだなと思いました。

私も、ちゃんめいさんと同じ理由でp.148のシーンが引っかかっていました。

ペットって言葉がひとつキーワードになってますよね。私もp.40で長谷先生本人が言った「ワンコ系男子になめられたい」というセリフが印象に残っています。

これまで大人の男性に性的に搾取されたトラウマを抱えつつも、結局本人も少年に飼い犬のような服従を求めていて…。自分の経験を自分より弱い存在に向けてしまう連鎖というか。自分が受けてきた扱われ方でしか人を扱えないことは、ショタコンだけじゃなく人間全般にあると思うんですよね。

世呂くんにとっては「犬のように扱われる」ことがショックなのかもしれないけど、他人からどう思われようと長谷先生からしたらそういうつもりはない。そこにどうしても埋まらない理解の食い違いがありそうですね。

ミステリアスな少年の背景が気になる

私がもう1つ気になったのはp.169です。ここで世呂くんは遠目で長谷先生を見ているんですが、憎しみをぶつけているときと違ってこの表情には愛を感じる。長谷先生が他の子とは築けない関係を築きたい、独占欲みたいなものが伺えて印象的でした。

世呂くんがミステリアスだからこそ作品が盛り上がっているし、いろんな見方ができますよね。

そうですよね!世呂くんの背景が気になります。彼もまた母親などの身近な大人の女性から性的に搾取されているのかも?そういう愛され方しかしてこなかったのかな、なんて勝手な予想をしています。

彼の家庭環境に要因があるっていうのは私も感じています。「水曜日だけ理科室にいさせて」とはじめの方に言っていたのも、きっとその日に家で何かあるんだろうなって。

大人がきらいだから子どもがすき?

あと1つ印象深かったのはp.35です。実はちょっと共感してしまう部分もあって…。

大人って裏表があるじゃないですか。長谷先生は小学校で純粋無垢な子どもをたくさん見ているから、大人のダークな部分に目を向けられないのかも。


だけど自分は大人の世界で生きていかなきゃいけなくて、そのギャップについていけないのかなって。そういう意味では、長谷先生自身が大人になりきれていないのかもしれないなと思いました。

たしかに、モノローグがあえてひらがなってとこからもその感じが伝わってきますね!

この作品をどう読む?

読む前は「性的嗜好の理解」がテーマだと思っていたんですが、あらすじで「倒錯愛憎劇!」と煽っていて、伝えたいのはそういうことじゃないのかなと。ショタコンという性的嗜好を通して人間の裏側を描くところが魅力だと私は思ったので、愛憎劇としての心理描写や関係性に注目しています。

私はいまのところ「こういう人もいるんだな」という単純なる理解というか。そもそもショタコンに関して「どう好きか?」と想像したこともなかったので。長谷先生がこれから自分の気持ちとどう折り合いをつけて、どう変化していくのかにフォーカスしたいと思っています。

私はどの作品も「自分にも起こりうること」として読むところがあり…。ショタコンはこれまでの自分にない嗜好ですが、そこに至る経緯や長谷先生の気持ちは共感できる部分が大いにありました。犯罪の根源は個人でなく社会にあると考えているので、ともすれば犯罪者になってしまう嗜好をもつ人の生きづらさに着目したいです。

今回は女性ライター3名による座談会。同じ成人女性でもまったく違う、見事に”三人三色”の読み方をしていることがわかりました。『シジジー、シジジー』あなたはどう読みますか?

月のように、読み手によって表情を変える

シジジー、シジジー(1) (ビッグコミックス)
雪魚/著

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