明日、私は誰かのカノジョ

をのひなお/著

『明日、私は誰かのカノジョ』それはまるで、誰かの裏垢を覗いているような背徳感

一週間に一回、私は誰かのカノジョになる。私じゃない私になる。誰も知らない私になる…。

誰にでもあるかもしれません。「このアカウント、オススメ!」と胸を張って人に紹介することは絶対にない。でも、なんとなく毎日チェックして動向を追わずにはいられない、あなただけが知っている、惹き寄せられてしまう背徳のアカウントが。

そんな“誰かの裏アカウント”のようなマンガ、『明日、私は誰かのカノジョ』。人に言えないさまざまな”秘密”を持った女性たちを取り巻くリアルな人間関係と恋愛模様を描いた作品です。

まるで実在する女の子のドキュメンタリー番組のように生々しくて、見てはいけないようなものを覗き見しているような気持ちになるのに、何度も何度も読み返してしまいます。

連載当初からずっと追いつづけながらも、わたしはこの作品を人に勧めることがとても恐ろしくてたまりません。だから、記事を通じてこっそりとあなたに紹介させてください。

「彼女代行」「整形」してる“だけ”のピュアな女性たち

「彼女代行」として誰かの求める自分を演じ、お金を稼ぐ女子大生・(ゆき)。

仲間に恵まれながらもつねに孤独を感じ、パパ活をやめられないリナ

美醜にこだわり、大金をかけて整形したことを彼氏に言えないアヤナ

サバサバとしていて女性扱いをされない(もえ)。

ホストに入れ込み、ホストのために夜の仕事をするゆあ

『明日、私は誰かのカノジョ』にはそんな女性たちが登場し、誰もがこの物語の主人公でもあります。

SNSの普及によって明るみに出てきた「彼女代行」「パパ活」「整形」。その存在は自分とはまったくの無縁なものであるように感じられます。公にしている人が少ないからこそ、人によってはちょっと異質に映るかもしれません。

一方で、蓋を開けてみると、ごく普通の等身大の女性の姿が浮かび上がることにハッとします。

同情なんてされたくないのに、自分の境遇に涙されてしまうこと。つねに誰かといるのにひとりぼっちのように感じてしまうこと。コンプレックスをいじられて笑い飛ばしながらも、心は傷ついていること。愛されたいと願いながらも、愛されないことをネタにするしかないこと。

少しでも思い当たる節はありませんか? そう、彼女たちが抱えているのは、置かれている状況こそ特殊であれ、ごく普遍的な悩みなのです。

肩書きや仕事などの表面的な要素だけを掬ってみると、一見自分とは無関係。でも、彼女たちの内側を知れば知るほど、「あぁ、こんな子いるかもなぁ」と思わせてくれる等身大なキャラクターだからこそ、頭のなかで「わかる…」と共感の声が鳴り止みません。

自分を傷つけたり、他人を拒絶したり、どうしようもなく愚かなこともしてしまうけれど、その実、心はとってもピュア。どうか幸せになってほしいと応援せずにはいられません!

実録ドキュメンタリーのような“未知なるリアル”に出会える

『明日、私は誰かのカノジョ』の舞台は、ごく一般的な大学や夜の歌舞伎町です。

果たして歌舞伎町を「アンダーグラウンド」と称していいのかはわかりませんが、歌舞伎町では毎晩当たり前のように行われている光景が、その界隈に無縁な人にとっては、まるで異世界のように感じられる世界観です。

たとえば、物語の舞台のひとつである「ホストクラブ」。

ここでは、自分の好きなホストを同じように好きでいる人のことを「被り」と呼んだり、他の席に行ってしまったホストを呼び戻すためにシャンパンを入れたり、最後に掛けた金額が多い人が「ラスソン」(ラストソング)を一緒に歌えたりする文化があります。

「ホスト」自体は珍しいものではないのですが、実際にお店に入ったことがない人たちにとって、これらの文化などはかなり新鮮なものに映るのではないでしょうか。

また、整形に依存している女性のエピソードでは、彼女がTwitterアカウントを使って整形に関する情報を収集し、カウンセリングを受ける様子が描かれています。ふらっとコンビニに行くような感覚で注射を打ち、糸で頬を引き上げ、レーザーを当てる…。

そんな、身近にありながらも今まで実際に目にすることはなかった「知られざる世界」をうっかり見てしまった…! という不思議な罪悪感を抱くのもまた、『明日カノ』の魅力のひとつ。

「〜しか勝たん」というようなスラングを取り入れたり、マンガ内でもコロナ禍になったりと、限りなくリアルに近い世界観のなかで、未知なる世界を垣間見る…という新鮮な体験をマンガを通じて味わえます。

普段は立ち入らないような場所に、主人公と同化しながら一歩足を踏み入れることへのスリルとゾクゾク感は、さながら実録ドキュメンタリー映画のよう。

「お前、意外とかわいいな」なんて奇跡は起こらないから

本編は大学との友人や通っているバーの仲間などの友情が描かれることもありますが、やっぱりメインは何と言っても「恋愛」です。

ただ、どれも決してお世辞にも「ハッピー」な恋愛とは言えません。あくまで作品だとは分かっているけれど、宅飲みしながら友人の不毛な恋の話を聞いて、「そんな男、やめとけよ…」と助言したくなるような気分になります。

創作の世界と比べて実際の恋愛は、トントン拍子にうまくいくことは少ないし、「あからさまライバルからの意地悪や嫉妬」よりも、もっともっと過酷なことが待ち受けています。頭ではわかってはいるけれど、受け入れたくない現実をありありと突きつけてきます。はっきり言って残酷です。

いわゆる「友だちポジションになりがちな女の子」だって、結局「意外とかわいいな」なんて言われて射止められるのが少女マンガのセオリーである一方で、『明日、わたしは誰かのカノジョ』ではせいぜいセフレ止まりが関の山。

しかもそれを、「私も別に好きってわけじゃないからいいんだけどさ…」「私は通行人 モブキャラA」なんて平然と言ってのけちゃうのです。

それでいて、男に媚びるような女にはなりたくない。本当は誰よりも愛されたいはずなのに、「恋愛したいとか彼氏欲しいとか思ってないし」と毅然と振る舞うのです。

もうやめて!! あなたのライフポイントはゼロよ!!と止めたくなるほどに痛切。無意識のうちにガンガン自分を傷つけていくキャラクターたちにうっかり自分自身を重ね、思わず目を瞑りたくなります。

そうやって、日々なんとか自分が上手に息ができる場所を探しながらも、どんどん深みへと潜り込んでいく彼女たちが進む先には何が待っているのか。

自分にまったく被害の及ばない安全な場所から、彼女たちの生き様をエンタメとして消費することは、まさに裏アカウントから誰かの裏アカウントを覗き見る、私たち“匿名ウォッチャー”そのものです。

あぁ、この作品を人に勧めるのが怖い。

作品を通じて自分自身の内なる欲望を晒してしまうから。自分から遠く離れたところで歌舞伎町の闇と恋愛の沼のなかでもがく人たちをウォッチすることに、背徳感に入り混じって一種の快感すら覚えている自分の醜悪さが他人にバレてしまうから。

この記事を読んで、少しでも「面白い」と感じてくれた方。きっと良い裏アカウント仲間になれるんじゃないかと思います。

良かったら、カノジョたちの行く末を一緒にひっそり見守っていきませんか。もちろん自分のアカウントには鍵をかけて。

明日、私は誰かのカノジョ (全8巻) Kindle版