鬼滅の刃

吾峠呼世晴著

戦いのPDCA!『鬼滅の刃』が面白すぎて、もはや前後不覚になってる

『鬼滅の刃』、面白さがヤバくないですか。

みなさん、いかがですか。2019/11/5時点での『鬼滅の刃』最新巻、17巻、読まれましたか。まだですか。読まれた方がいいです。

まだ作品自体を未読ですか。ぜひ読まれた方がいいです。

刀、侍、大正、吸血鬼、不死者、絆、成長、いずれかのキーワードはお好きですか。いっそお好きじゃなくても読まれた方がいいです。

もう正直、この先の僕のレビューなんていいです。作品を読まれた方がいいです。読んだら帰ってきてください。

鬼滅の刃
吾峠呼世晴/著

泣いた。

この17巻で僕は泣きました。

もう読まれたかとは思いますが、『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生による、主人公、竈門炭治郎(かまどたんじろう)の成長を中心に、不死者を滅するための組織、「鬼殺隊」が身命を賭して戦う姿を描いた大正ロマン香る物語です。

山中で家族と仲睦まじく暮らしていた炭治郎が街から家に戻ると、そこは家族全員が血みどろで倒れる凄惨な光景が広がっていました。

家族は鬼に襲われ、命を奪われていたのです。さらに唯一、息があると思っていた妹、禰豆子(ねずこ)さえも鬼に成り果て、一時的に理性を失って炭治郎に襲いかかります。

そこからさらに全ての鬼を滅殺する「鬼殺隊」の隊員が現れて、鬼と判断された禰豆子が殺されそうになってしまう。もう悲劇をやめて!

そして鬼となりながらも人を襲わなくなった稀有な存在、禰豆子と共に、炭治郎は鬼殺隊の一員となり、激戦の渦中へ巻き込まれていきます。

鬼の元凶にして鬼殺隊の宿敵、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を見つけ出し、禰豆子を人間に戻すために。

17巻を読んだら、ここ数日、心が沸き立って思わず1〜17巻を二、三回読み直してみたんですけれど、『鬼滅の刃』はどう考えても面白い。面白すぎたので、何がここまで自分を夢中にさせてしまうのか、考えてみることにしました。

既読の方にはさらにもう一度読んでいただく、未読の方にはぜひ一度手にとっていただく、その一助となれば幸いです。てゆーかもう読んでますよね?教えて下さい。あなたの面白さを!

これが『鬼滅の刃』の面白さです!

常に敵が圧倒的有利の状態

まず、鬼のステータスがやばい。

どんな下位の鬼でも、鬼殺隊の刀で首を落とさなきゃ死なないんです。

いきなりゲームバランスを壊すアドバンテージだと思うんですけど、さらにそこから鬼は超回復をデフォルト装備し、人智を超えた術を使うやつ、首を切っても死なないやつ(!?)が現れてきて、敵が圧倒的に有利の状態が常に揺るがないんです。

だからもう、ひたすら首。

鬼殺隊は鬼と遭遇したら、ひったすら鬼の首を狙うんです。そんな一縷の望みだけをかけて戦う姿を応援せずにはいられない。

あとちょっと、あとちょっとなのに、激しい戦いのシーンは常にそういう息苦しい状態で、首に刃が触れ「やっと捉えた!」とキャラクターと読者が勝利を確信した瞬間、さらに鬼が鬼殺隊を出し抜き、するりと勝利が逃げていく。

その繰り返し。その興奮が三、四回は繰り返されれます。だから鬼殺隊は常に例外なく、ボロボロの状態で戦い続けます。

もうそれじゃあ生きていないだろ、もう絶対に立ち上がれるわけがない、そういう状態でも毎回、不屈の闘志で立ち上がる。

何度も何度も、刀を振るうことを止めない。致死量の血を流し、肉が割かれ、骨が折れても、それでも戦う。コマの一つ一つが、その勇姿を、美しい描写でガンガン脳みそに伝えてくるんです。

だから、本当に倒せたときのカタルシスが凄い。

どの鬼を倒すときも、常にRPGゲームのラスボスを倒したかのような、走り出したくなるような爽快感を感じてしまう。倒せるわけがない、それでも倒す。絶対に倒す。その一心一意の迫力が、読者の心を握って離さないんです。

圧倒的に鬼有利の状態からスタートする

鬼殺隊の成長に果てがない

これ『鬼滅の刃』の凄く特徴的なところだなって思っているんですけれど、鬼殺隊って基本、修行してるんですね。

特に主人公の炭治郎はずっと修行してる姿が描かれています。こんなに修行してるマンガって、あんまり読んだことがないくらい。

基本マンガの主人公は修行しているもんだとは思うんですけど、『鬼滅の刃』というマンガはその修業風景をずっと描ききるんです。

最新巻17巻までのうち、たぶん1/3くらは修行をしているシーンで埋まっている。炭治郎、ずっと修行してる。めっちゃしてる。修行だけで何年か経ってる。

その死にものぐるいの修業を見ていると、読者が炭治郎の成長を確かに感じる瞬間があるんです。あ、炭治郎、また強くなった、という「掴んだ感じ」にグッとくる。

その「強くなった」タイミングって当然週刊少年ジャンプですから、もちろん、強烈な根性論、突然の覚醒はなくもない。なくもないんですが、炭治郎の成長で大切なところって、常に彼が考えていることだと思うんです。

炭治郎、ずっと戦いのPDCAを回してるんですね。鬼に勝つためには、成長するためには、どうすればいいかということをずっと考えている。修行中でも、戦闘中でも、ずっと脳みそはフル回転でトライアンドエラーを繰り返してる。

ああ、これがだめだった、だから炭治郎はそこを変えたんだ、試したんだ。結果的にうまくいって、鬼を倒せるようになったんだ。炭治郎凄い。この納得感のある地道な勝利への描写で、さらに物語へ読者を引き込みます。

迫力のある描写は炭治郎の試行錯誤の賜物

炭治郎が前代未聞にいい子である

どんなに悲惨な目に遭っても、炭治郎はずっといい子なんです。こんな真っ正直に自分の弱さと強さを認められる人間ってそうはいない。

家族を惨殺されても、妹が鬼になっても、理不尽な傷を負っても、不条理な戦いに巻き込まれても、けして炭治郎の心は歪むことがない。

一話、家族との日常を過ごしていていた炭治郎が「生活は楽じゃないけど幸せだな」と考えるシーンがあるんです。言える?少年時代にそんなこと考える?いい子が過ぎる。

そこから禰豆子以外の全てを一度失ってしまうことになるので、幸せな少年から、不幸な少年に一転するんですけれど、炭治郎の性質は全然変わりません。

どんなに修行が厳しくても、どんな強い鬼と対峙しても、どんな大怪我をしても、全然変わらない。抱きしめたくなるようないい子のまま。

自分を支えてくれている人達に感謝の念を忘れず、強さにけして驕ることなく、ただただひたむきに、妹を人間に戻すために、仲間を救うために奔走する。

好きなシーンがあるんです。炭治郎が家族を失ってから、修行を積ませてくれた鱗滝(うろこだき)という人物がいます。

鱗滝さんは修行で炭治郎をボコボコにして鍛えてくれたんですが、褒めたことは一度もありません。しかし、一通りの修行が終わった炭治郎の努力を認めて、頭を撫でながら言うんです。

「よく 頑張った 炭治郎 お前は 凄い子だ……」

えー!もうよく分からない感動が僕の体を駆け巡っていく!

それもこれも炭治郎がいい子だから!前代未聞にいい子なのにあんな凄惨な目にあって、それでも挫けず、現実を見つめて、人に認められていくことが、まるで自分のことみたいに嬉しい。嬉しすぎる。このマンガで炭治郎を認めてくれる人、本当にみんな好きになってしまいます。

息子に欲しいほどのいい子、竈門炭治郎。

モノローグという強烈な加速器

読者の意識を奪うかのような、強烈なモノローグの入り方がやばい。

息もつかせぬ激しい戦闘の合間、1コマだけ鬼殺隊の隊員や、鬼のモノローグが入ったりするんです。

要所要所でカンフル剤のようにモノローグが入るんです。それが緩急つけられた独特のテンポを生んで、読んでいるともう息継ぎさえ強制されているかのような、物語ののうねりに飲み込まれてしまいます。

僕自身も剣道を習っていたものですから、少しそのことを思い出しました。対峙している相手との「間」が切れたとき、モノローグが入っている気がするんです。

その「間」で、心を加速させるモノローグが入る。そのモノローグを通して、読者とキャラクターがつながっているんです。読む方の心も加速する。興奮が加速しっぱなし。

特徴的なモノローグで読者と登場人物が過去を共有する。

人の思いが必ずつながる

そしてこれが、『鬼滅の刃』でもっとも大切で、最も信じられる部分だと思っています。もっとも根底に流れているであろうグラウンドルールじゃないでしょうか。

『鬼滅の刃』では、どんなに長い時間経っても、人の思いが絶対に朽ちることなく、人から人につながっていく。これがあるから『鬼滅の刃』なんです。

鬼殺隊の人々、鬼殺隊に関わりのある人々の多くが、鬼に関わったせいで悲惨な人生を歩んでいる被害者でもあります。

鬼を倒すまで絶対に歩みを止めない彼らは、消えぬ怒り、苦しみ、悲しみを糧に強くなっていきます。

しかし、鬼の力は無慈悲で、鬼殺隊の命をいとも軽く奪っていく。それでも、その思いは必ず誰かに託されて、鬼を倒す力の礎となって、さらに次代には研ぎ澄まされていく。

ずっとずっとその連綿と続く思いの系譜を、いまは炭治郎が受け取っていて、個を超えた渾身の力で鬼を討つ。

物語の全てとも言えるその一撃に、心が沸き立たないわけがない。

多くの登場人物が辛い過去を背負っている。

鬼は鬼で悠々自適ではない

どうしても鬼殺隊サイドに立ってしまうのですが、この物語では鬼も楽に人を殺して楽しんでいるわけではないことも見逃せません。

半分くらいは、別に鬼になりたくて鬼になったわけじゃないみたいですね。禰豆子のように鬼舞辻無惨に鬼にされて、やがて人間の心を失ってしまった鬼も相当数に上るようです。

鬼サイドから見ると、きっと鬼殺隊って強いですしね。大変みたいですね。それが如実に語られるのが「パワハラ会議」といわれ、Twitterのトレンドにもなっていた、6巻の鬼の幹部と、絶対的支配者である鬼舞辻無惨のやり取りでしょう。

ぜひこれは、マンガでその不条理を感じて欲しいと思います。思わず僕は会社のミーティングを思い出して、胸がきゅっとなりました。

また、心優しい炭治郎だけがそういった鬼の悲しさを理解していて、複雑な慈悲をもって鬼の首を斬っていることも物語に奥行きを持たせていることを見逃せません。本当にいい子。

パワハラ上司で有名な鬼舞辻無惨様

『鬼滅の刃』は人の思いの物語

鬼と鬼殺隊は、個と群、永遠と刹那、いくつかの対比で両者を語ることができると思うのですが、この記事を書いていて、鬼について気づいたことがあります。

快楽や恐怖、害意、傲慢など、さまざまにネガティブな部分で鬼は凝り固まってはいますが、それもまた「人の思い」が歪んで純粋化されただけではないでしょうか。

つまり肉体的に無敵に近い鬼は、実は一つの思いに囚われた弱い存在なのではないでしょうか。鬼殺隊があんなに力強く見えるのは、か弱い人間が様々な思いを抱えて、受け継いで、そして強くあろうとする姿に、人間の本当の強さを見るからではないでしょうか。

炭治郎の受け継いでいるもの、禰豆子の顛末、鬼舞辻無惨にかつてないほど鬼殺隊が肉迫している最新の17巻は最高に面白いマンガでした。

ここから先もワクワクが止まらず前後不覚です。どうぞ既読の方にはさらにもう一度、未読の方にはぜひ一度手にとっていただければ最高の気持ちです。