漫画家が健康に仕事する方法を知りたい!予防医学博士に聞いてみたら…?

「激務ゆえに短命」とも言われる漫画家という職業。

しかし最近では、漫画家さんがSNSで休載の必要性について発信したりする影響で、マンガ・出版業界として健康への意識が高まってきた印象があります。

一方で、実際のところ、漫画家の生活のどこが問題で、健康を維持しつつ仕事をするには何が効果的なのでしょうか?

今回、「ウェルビーイング」を提唱する予防医学博士の石川善樹さんにインタビューして、漫画家をはじめフリランスクリエイターのための間違いない健康法をお聞きしてみた、のですが…。

記事に登場する人

石川善樹|YOSHIKI ISHIKAWA

予防医学研究者、博士(医学)

1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。

「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。

専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。

近著は、フルライフ(NewsPicks Publishing)、考え続ける力(ちくま新書)など。

Twitter:https://twitter.com/ishikun3

HP:https://yoshikiishikawa.com/

健康は「病気じゃない状態」ではない

ーー今日は、漫画家などのクリエイターさんが健康になるための方法をお聞きしに来ました。アルは漫画家さんを応援しているので、とにかく健康に執筆活動をしてほしいんです!漫画家さんに超ぴったりな、すごい健康法などが聞ければと思っています!

うーん…正直、同じ人間なんで、クリエイターに限った話とかはないと思うんですよね。


あえて言うなら、座りすぎや睡眠不足に悩まされやすいのかもしれないけど、それってビジネスパーソンも一緒じゃないですか?

ーーそれはたしかに。けれど、クリエイターさんってなんだか健康について悩んでいる人が多い気がしていて…。

そうですね…いろいろと話していくにあたって、まず、そもそもの健康の定義について説明してもいいですか?

ーーお願いします!

まず、健康というと、ただ「病気でない状態」という風に捉えられがちなんですが、誤りです。


正確には、「身体的、精神的、社会的に良好な状態」こそが健康なんです。

ーーマイナスじゃないだけじゃなく、ちゃんとプラスな状態ということでしょうか。

そうです。それはそのまま、ウェルビーイングの定義でもあります。


「ウェルビーイング=健康」なんです。

ーー普段あまり使わない言葉ですが、健康とほぼ同じ意味なんですね。

そうですね。


もともと日本において、病気に対してどう対処するのか、つまりマイナスをゼロに戻す「治療」という考え方は、戦後に科学が進んだことで生まれたものなんです。


それから科学は大きく発展し、多くの病気が予防あるいは治療できるようになりました。


マイナスをゼロに戻せるようになったのだから、これからは次のステップとして、プラスの状態を目指していく時代なんです。

ーーなるほど。

これは「健康」という言葉が生まれる以前からあった、「養生」の考え方に近いものですね。


養生は元気に着目する考え方で、文字どおり「もともと持っている気」を減らさないようにするという考え方です。

ーーその頃の考え方にふたたび回帰しているということですね。それで、元気を保つためにはどうしたらいいんでしょう?

まず、予防や治療といった病気への対処の場合、100人いたら90人に効くような「理系的なアプローチ」で対応できるんですよ。


要は原因を一般化して、再現性を高めていけばいい。「タバコを吸わない」「投薬する」「栄養コントロールをする」とか、多くの人に効きますよね。


対して、元気を生むものは人によってあまりに違うので、そのため「文系的なアプローチ」も必要なんです。

ーー文系的なアプローチとは、どういうことですか?

「この趣味をやると楽しい」「こういうステータスだと幸せ」といった、情緒的で、再現性がなく、1万人に1人にしか効かないようなアプローチのことです。


もちろん理系的なアプローチでも「収入が高い」「人とのつながりが多い」「強い生きがいがある」とか、誰にでも当てはまりやすいこともあります。


でも、例えば好きなアーティストのライブに行くのが一番元気になれるという人がいたとして、全ての人にライブを勧めるのは違うじゃないですか。


しかもそれは、本人の中でも変化していくかもしれないですし、今この瞬間の自分にとって最も元気になれるものが、明日の自分にとってはそうではないかもしれないわけです。

ーーたしかにそうですね。

まとめると、健康になるためには、身体、精神、社会の3つの軸で、理系的アプローチと文系的アプローチを両立する必要があります。


理系的アプローチとしては、たくさんありますが、例えば身体の面では健康診断を受ける、精神の面ではストレスチェックを受ける、社会の面では健康保険に入るとか。


そういった当たり前のことをやりつつ、文系的アプローチとして、今の自分にとって身体的、精神的、社会的に元気になれる何かを探す。


これって職種に関係なく、すべての人間にとって同じだと思うんです。

ーーなるほど…。理系的アプローチと文系的アプローチって、健康になるための守りと攻めみたいな感じですかね。

ああ、まさにそんな感じです。


その上で、科学が発達し、社会が成熟した現代においては、守りは整ってきているので、これからは特に攻めを重視していこうというわけです。

クリエイターのためのセーフティネットは弱い?

ーーとはいえ、クリエイターさんって当たり前の守りをなかなか享受できていない気もするんです。

僕は出版やマンガの業界にそこまで詳しくないので、はっきりしたことは言えないんですが、あえて言うならセーフティネットが弱いのはあるかもしれませんね。

ーー例えば最近、漫画家さんやイラストレーターさんの間で、文美国保(文芸美術国民健康保険組合)に入ると保険料がすごく安くなると話題になりました。こういう当たり前に利用したほうがいい制度のことすら、あまり知られていなかったりするんですよね。

当たり前の守りって、誰かに教えてもらって取り組んでいる時点で、セーフティネットが機能していないですよね。


無意識でもいつの間にか完了しているくらいの状態にならないと、やらない人はやりませんから。

ーー学生や会社勤めじゃないと、おろそかになってしまいやすい気がします。こういう状況で、健康になるためにどうすればいいんでしょう。

こういうものは歴史を振り返れば、思いを持った人が必ず動き、変化を起こしてきています。


例えばかつてのイギリスでは、子どもが炭鉱で十数時間も働いていたわけですが、制度を整えた人のおかげで児童労働はやめようということになりました。


また、ハリウッドの脚本家は労働組合をつくり、待遇改善を求めてストライキを行ったりもしています。


だから、もし本当に問題があるとすれば、いずれセーフティネットは整っていくはずだし、だとすると誰がそういう行動を起こすのかですよね。

ーーそういえば少し前、講談社コミック事業局さんが、漫画家さん向けにオンライン医療相談サービスの提供を始めていました。アルでもインタビューしたんですよ。

ーーその後、「少年ジャンプ+」編集部さんや小学館さんが同じ取り組みを行っていました。これはクリエイターさんにとってのセーフティネットになりますよね。

まさにそういう例が大事だと思います。


業界として、制度を利用した守りを整えていくのは大切ですし、力を持っている出版社側がリードしていけるといいですよね。

ーーあと、週刊連載は地獄と言われたりしますが、最近はページ数の制限を受けないWebマンガサイトで、隔週連載や月3更新のヒット作もかなり増えているんですよね。『SPY×FAMILY』や『怪獣8号』、『忍者と極道』、『推しの子』、『僕の心のヤバイやつ』とか。

以前「少年ジャンプ+」の編集長にインタビューしたとき、「Webの柔軟性のおかげで多様なキャリアの漫画家さんがチャレンジしやすいことがヒット作が生まれる一因」と話されていました。

ーー今までは主に週刊誌か月刊誌の2択だったと思うんですが、描くペースを自由に選んでヒットを目指せるようになったのは、とてもいい傾向ですよね。

今、企業は労働者に対して、「うちに来るとこういう時間の過ごし方ができますよ」という風に惹きつけないといけない時代に突入しています。


どういうことかというと、もはや給料や福利厚生だけで魅力を感じてもらうのは難しいんです。


それが出版社とクリエイターの関係においても、一緒なんだと思います。


どういうリズムで働きたいかは、その人次第で変わってきますからね。

ーー自分なりのペースで描いてヒットを目指せるのが一番ですもんね。

とはいえ、大切なのは、人それぞれに合った選択肢があることです。


逆に言えば、一律にルールを決めてしまうことで、たくさん描きたい人のやる気まで削いでしまうのはよくない。


極論を言えば、あくまで健康である限りは、毎日連載でもいいわけです。


荒木飛呂彦先生みたいに、余裕で週刊連載をこなせるような人だっているわけですしね。

自分が元気になれる方法を見つけるには?

ーー最近だと、『呪術廻戦』の休載が話題になりました。このとき、芥見下々先生は執筆の継続を望んでいたそうで、作家さんの中には、体調を崩してもとにかく描きたいという人も多いんじゃないかと思うんですよね。

大切なのはとにかく本人が健康かどうかであって、その中でトレードオフになる場合はありますよね。


つまり今の例だと、身体の健康を犠牲にしてでも、作品を描くことで精神的な健康が保たれるというケース。


繰り返しになりますが、毎日作品を描くことが、その人にとっての健康だったりもしますから。

ーー作者さんからすれば身体の健康を害するとわかっていても、休載はなかなか決断しづらいですよね。

編集部の現場がどうなっているのかはわかりませんが…。


作者は描きたい、編集部としては休んでもらいたいというときに、その二者だけでなく、第三者の判断が必要ですよね。


つまり、ドクターストップです。そして、連載再開した後も、ちゃんと健康を維持できているのか継続的にモニタリングしないといけない。

ーーまさに先ほど紹介した、オンライン医療相談サービスのようなものが必要ですね。

守りの部分は業界として足りないセーフティネットを補っていき、攻めの部分は一人ひとりが元気になれる方法を追求していく。その両面が必要ですよね。

ーー元気になれる方法の見つけ方として、石川さんがおすすめすることはありますか?

仕事だけをせず、とにかく新しい経験をたくさんすることだと思います。


例えば僕の知り合いで、最初はサウナの良さが全然わからなかったけど、10回くらい行ってすごくハマったという人がいたりする。


自分が元気になる方法って、それくらい経験してみないと案外わからないと思うんですよね。

ーーけれど、クリエイターさんってかなり多忙でなかなかそんな時間を取れないという人も多そうです…。

仕事を優先するうちに、つい時間が流れていってしまうのはわかりますよ。


そういうときは、仕事で空いた時間を休みにするのではなく、事前に休む予定を入れてしまえばいいんです。


どれだけ忙しくても、すごく楽しみな予定が入っていたら、それまでに仕事を終わらせるはずですから。

ーーそれは…そうかもしれない。

旅行でもカフェラテを飲むでもなんでもいいんですが、大切なのは自分が心から楽しみに思える予定を入れることです。


フリーランスの人は、会社員と違って自分で時間の使い方を決めないといけなくて大変ですが、それは仕方ないことですよね。

ーーなんというか、当たり前の話ばかり聞いてしまって申し訳なくなってきました…。

求められているような、何か新しさのある方法を伝えられずすみません…。


一般的なことばかり話してしまいましたが、当たり前のことをやるのがそれだけ大切ということです。


とにかく守りの観点からは、健康診断を年に一回受ける、運動・栄養・休養、孤独にならないようにする、あと最近だったら手洗いうがいとか。


そういう当たり前に大切なことをなんとか頑張った上で、攻めの観点から自分が元気になるための何かを探してみてほしいです。


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