「少女マンガは、それぞれの時代に生きる女の子たちの願望を反映しているものです」。そう語るのは、小学館「Sho-Comi」の編集長を務める畑中雅美さん。専業主婦になることが一般的だった時代から、女性も普通に働くようになった現在、少女マンガにはどんな変化が訪れているのでしょうか?
『僕は妹に恋をする』『カノジョは嘘を愛しすぎてる』などのヒット作を担当してこられた編集者である畑中さんに、少女マンガの変化について聞きました。
編集者さんのプロフィール
畑中雅美(はたなかまさみ)
少女漫画編集者。1998年に小学館に入社。少女漫画誌の編集者として、青木琴美の『僕は妹に恋をする』『僕の初恋をキミに捧ぐ』『カノジョは嘘を愛しすぎてる』をはじめとする数々のヒット作を世に送り出す。担当した作品には映画化されているものも多数ある。少女漫画誌『Cheese!』編集長を務めていたが、2019年7月からは新たに『Sho-Comi』の編集長として活躍。
結婚は「ハッピーエンド」から「新しい物語」のはじまりに
ーー最近、昔読んでいた少女マンガを読んでいたら、驚いてしまったんですけれど、少女マンガって、高校生のときに結ばれた男女が数年後に結婚する、みたいな最終回が多い気がして。
中高生で初恋をしている時期に読むものだから、初恋って10代の子たちにとっては、一世一代のものですからね。それは今でも変わらず、一定の割合でありますね。
ーー結婚したら主人公はだいたい専業主婦になっていたりもして、時代だなぁと感じたんです。
女の子だというだけで、大学に行かせてもらえないとか、満足に仕事ができないとか、そういう時代は確かにあった。
結婚って、そういう与えられた環境から抜け出せるファクターのひとつとして捉えられていたフシがあると思うんです。だから結婚エンドが多く描かれていたんじゃないかなぁ。
今でも与えられた環境から抜け出したい人たちは確実にいる。けれど結婚がゴールではなく、結婚スタートで別の世界に行く話が増えている気がします。今も昔もウェディングとかマリッジというキーワードが入っている物語は多いです。
現代は、結婚で「ハッピーエンド」ではなく「はじまり」。結婚の「後」を描く作品のほうが多いかもしれないです。
ーー『逃げ恥』(逃げるは恥だが役に立つ)とか、そうですよね。男女が一緒に暮らすことがゴールではないという。
そうですね。『家政夫のナギサさん』も今っぽいですよね。「女性が家事をしなくちゃいけない」という固定観念から抜け出そうとしている。
女も男のように働くようになって、女性側に「嫁的な存在が欲しい」という気持ちがあるんですよね、きっと。今まで、当たり前のように女性がやってきた家事をアウトソーシングすれば何かが変わる。
ーー働く女性が主人公の作品でも、90年代ぐらいからあるOLマンガとはだいぶ雰囲気が変わった気がします。
前の世代の作品では、働く女子は「働く自分を男に認めさせたい」とファイティングポーズをとることが多かった。それは実社会の反映だと思うんです。
逆に今の10代は「男に負けない」ってあんまり思っていないですよね。諸先輩方が’’平等”を勝ち取ってきたからこその変化かもしれない。
ーー今は、学校を卒業したら普通の流れとして働きますもんね。
そうそう。働くことが普通になってきたので、反骨精神的なものは薄れてきた。だからこそ、かつてのような「性別のせいで報われない」より「働いているときは彼氏でもかまっていられない」という悩みが現実的になってきた。
『ねぇ先生、知らないの?』はマンガ家の女性と美容師の彼氏の話ですが、「忙しくてLINEが返せない」って描写がすごくリアルですよ。忙しくて連絡が滞ることが「過剰にだらしないこと」ではなく「仕方ないこと」として描かれている。
仕事が終わらないときに彼氏が待っていてくれる。あまり相手をしてあげられないけれど、仕事を頑張ってるから認めて欲しい…みたいな。
これって、昭和の男たちが女子に求めてきたことなんですけれど(笑)。あの作品を読んで気持ちがいい人は、普段お仕事を頑張ってる人だと思います。
マンガの中で能動し始めた女の子たち
ーー少女マンガに出てくる男性像って変化はあったと思いますか? 昔のマンガは白馬の王子様的な存在もいましたが、最近はいろんな男の子が相手役になっている気がします。
「かっこいい人=好き」ではなくなってきた気がしますね。ここ数年は、優しい男子が人気な傾向があるような…。
ーー束縛男子とか、ドS男子とか人気そうなのに?
ジャンルとしては人気ですけど、ドS男子がトレンドだったのは一昔前ですね。なんというか、男の子に追従する主人公は読者から好かれないんですよ。ドS男子に対して尽くす女よりも、「何あいつ⁉︎」と張り合っていくタイプのほうが多い気がします。
ーー「尽くすことが愛を勝ち取る唯一の方法」ではなくなった?
好きな男の子のために徹夜してお弁当を作る的な、昭和に流行った、あみんの『待つわ』みたいな「尽くし系」のヒロインはあまり見なくなりましたね。でも、実は男の子たちはそういう甲斐甲斐しい女の子を求めてはいなかったんじゃないかなぁ。
ーーどういうことでしょう?
男子の好きなマンガに出てくる女子は基本的に「ミッションガール」。頑張ってミッションを達成したら自分のところに来てくれる女の子が人気なんですよ。
ーー具体的には?
古くは『タッチ』の浅倉南とか、『ドラえもん』のしずかちゃんとか。例えば、現実の世界で言うと「何食べたい?」と聞かれたときに「なんでもいい」と言わずに「餃子に最近ハマってる」とか「浜辺でハマグリを食べたいな」と、課題を与えてくれる子。
ーー南ちゃんでいう「甲子園へ連れてって」とか?
そうです。要望を言われると「この課題をクリアすればあの子は喜んでくれる」って分かるじゃないですか。「あなたが行きたい場所ならどこへでも行きます」みたいな感じではない。
ーー「尽くす」系ではないってことですね。
そうそう。なのに女性側が「自分の意見より、彼に合わせるほうが良い」と思いこんでいる部分があったんだと思います。例えば、「好きな人がサッカー部だからマネージャーになる」という流れが代表的ですね。この選択って完全に彼に合わせてますよね。
根本的に「彼に尽くす」女の子が主流だったし、そのほうが可愛らしいし、尽くせるのが幸せだという思い込みが強かった。けれど、そうじゃなくなってきているんでしょうね。
たとえば今、Sho-Comiで連載している『青春ヘビーローテーション』からは、その変化が強く感じられます。
ーーそれは、どういう点が?
高校入学と同時に好きな人ができるという王道のフレームではあるんですよ。でも、部活を選ぶときに、主人公は好きな男の子に「私は応援部に入ったんだけど、一緒に入らない?」って誘うんですよ。自分の要望をまず口に出すようになった。これは、時代の変化の表れだと思ってます。
ーー「自分はこうしたい」という欲求を口に出す今どきのヒロインと「〜に連れて行って」と言うミッションガールって、主体性があるという点では少し似ているような。
そうですね。だからこそ、男女が抱く「理想の女の子」のギャップが縮まっているように見えるんだと思います。
でも、ミッションガールと最近のヒロイン像で大きく違うのは、「男性の従属的存在であるという自意識の有無」なんじゃないかなぁ…ミッションガールの「連れて行って」という言葉自体に、従属のニュアンスがあると思うんですよね。
ーー「媚び」が見える、みたいな。
ちょっと強めな言葉を当てるとそうなりますね。私見ですが、今の読者からはそういう、「男性に手を引っ張ってもらう」「男性を引き立てる」みたいな思い込みは感じられません。
もちろん昔ながらの女の子が好きな人たちもいますけれど、今ではメジャーというより1つのジャンルになったという感じです。女の子の描き方がバリエーションが増えている。
ーー女の子から告白する少女マンガも最近はよく見る気がします。
ですね。すごくいい流れだと思います。白馬の王子様をじっと待つのではなく、自分で探しに行ったり、手をあげて待ったりする。受動的でいい子ぶってるキャラクターは本当に少なくなったと思いますね。
「嫌われてもいいから正直なことを言う」主人公
ーーもしかしたら90年代に『美少女戦士 セーラームーン』が流行ったりもして、今の世代の読者たちが、当たり前に戦う少女を見ていた影響かもしれないですね。女の子も戦うのが普通というか。
それはあるかもしれないですね! 『セーラームーン』は今もすごく人気ですし、そこから派生して、女の子たちが強くなっているのかもしれないです。社会の変化もありつつ、女の子たちの嗜好が変わってきたのかもしれない。
ーー少女マンガの恋愛にこういった変化が出てきたのって、いつ頃からなのでしょうか?
本当はずっとあったと思うんですけど、メジャー作品でよく見かけるようになったのはこの2〜3年だと思います。一般的に「能動的なヒロイン」と聞くと、明朗快活なイメージを思い浮かべると思うのですが、ここで言う能動的とは「自分の欲求に素直」な振る舞いです。
例えば「1人ぼっちでいたい」ヒロインも「自分の要求に素直」ですよね。こういうキャラクターが目立ち始めたのは、7〜8年前ぐらいからだと思ってます。特に10代〜20代前半の若手の作家さんたちは、よく「ぼっちが好き」なヒロインを描いてますね。
ーーこれからヒットしそうだなと思う型とかありますか?
すでに流行っているジャンルだと思うのですが、私的には「嫌われてもいいから正直なことを言う」ヒロインですね。たとえば中国で流行っているドラマ『The Romance of Tiger and Rose』の主人公は、自分の価値観を突き通して世間の慣習と反対のことをして軋轢を生むものの、一部の登場人物からは熱い支持を得る役どころです。
Netflixで人気の『サイコだけど大丈夫』や『愛の不時着』だって、おとなしくて空気を読む女の子は出てこない。日本のものだと『はめふら(乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…)』とか。
ーー万人から好かれようとはしていないヒロイン。
ですね。昔は「なんで私を好いてくれる人が現れないんだろう」と悩んでいるのが主流だったと思うのですが、今は「自分は嫌われ者だしな、仕方ないな」から始まる感じがしています。
「性格が悪い」と自分で思っている主人公が人気になっていくかもしれないですね。自分の欲望に素直で、意志を表明していくって、誰かと衝突しかねないってことですから。万人から好かれるよりも、自分を大事にするっていうか。
これまで現実社会でもマンガの世界でも、男の子が何もかも自分で決めなくてはいけない、女の子を引っ張っていかなくてはいけない、という雰囲気があった。でも、自分の判断で物事を進めることは、一見すると自由ですけど、苦しみもあると思うんですよね。
そういう苦しみがある中で、女の子が自分の望みを言ってくれて、しかも誘ってくれるのは、男の子にとっても嬉しいこと。
今までは、男女それぞれが目指すべき理想像が一致しなくて、噛み合わせが悪かったと思うのですが、「能動的なヒロイン」が増えてきたのを見ると、このギャップが鮮やかに消えようとしている時代なんだなぁと思いますね。
少女マンガもアップデートしている。「受け身じゃないヒロイン」の活躍は、男の子が読んでも面白く読めますよ。
***
記事の後編はこちら。