アンゴルモア 元寇合戦記 博多編

たかぎ七彦 / 著

『アンゴルモア 元寇合戦記 博多編』世界の4分の1を支配したモンゴル帝国との死闘

たかぎ七彦先生の『アンゴルモア 元寇合戦記 博多編』は、1274年にモンゴル帝国皇帝フビライ・ハンの命によってモンゴル軍が侵攻してきた「文永の役」を描いた歴史絵巻です。

本作は2018年にアニメ化もされた『アンゴルモア 元寇合戦記』の続編で、「対馬の元寇」を描いた前作から、博多に合戦の中心地が移動しています。

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モンゴル帝国に襲われた対馬

文永11年(1274年)、モンゴル帝国とその属国である高麗国の軍勢3万によって、対馬は襲撃を受けました。少弐(しょうに)氏の地頭代・宗助国(そうすけくに)はこれを迎え撃ちますが、激戦の上に全滅。島民は虐殺されるか戦利品として捕らえられたのでした。

しかし、山中に辛くも逃れた者たちの中には、元鎌倉御家人の朽井迅三郎や、伊予の海賊・鬼剛丸(おにたけまる)がいました。迅三郎は義経の残した剣術、義経(ぎけい)流の使い手であり、博多へ向かう蒙古の船に忍び込み、単身で博多へ向かうのでした。

異国の兵器に翻弄される日本軍

蒙古軍を迎え撃つのは少弐資能(すけよし)を総大将とする日本軍です。しかし、味方のはずの御家人たちは、自らの出世や恩賞のことばかり考えていたり、馬で戦うという戦の型にこだわっていたり、軍隊としてまとまり切らずにいました。

その間に蒙古軍は博多襲撃の要所である赤坂山を押さえ、博多攻略の足掛かりとします。火縄銃が種子島に伝来したのは1543年と言われていますが、この時の蒙古軍は手りゅう弾状の「てっぽう」を用いていました。初めて見る爆発の威力に士気はそがれ、また爆発の音響によって軍馬が暴走するなど、蒙古軍の未知なる戦法に日本軍は翻弄されていました。

恐怖の大王アンゴルモア

アンゴルモアとは、ノストラダムスの大預言にも登場する空から降ってくるという恐怖の大王のことです。前作では、モンゴルが世界を滅ぼす大王(アンゴルモア)が出づる地として紹介されました。

当時のモンゴル帝国はチンギス・ハンに始まり、東ヨーロッパや朝鮮半島に至るまで、地上の陸地の約4分の1を支配していたとされています。チンギス・ハンの孫であるフビライ・ハンの時代にモンゴル帝国は最盛期を迎えており、元寇が起こったのもこの時代です。攻め込まれる人々にとっては、蒙古はまさに、世界を一変させる恐怖の存在だったのかもしれません。

日本軍の勝因はどこに

元寇は神風によって日本が救われたとされていますが、蒙古軍の撤退の背景には、これ以外にもいくつかの要因があったのではないかと言われています。たとえば、極端に短い工期で船の建造を命じられ、十分な性能の船を用意しきれなかったことや、海に慣れていない大陸人にとって、対馬海峡の波による揺れが激しい船酔いを引き起こした可能性などです。

歴史の授業で元寇を習ったとしても、だいたいは数ページ程度の出来事としてまとめられています。しかし、当時の対馬や博多に生きる人たちにとっては、国が滅びるかどうかという重大な出来事でした。

私たちが生きる現代も、数百年後の時代には数行でまとめて説明されているかもしれません。ですが、その時代を生きる人々には様々なドラマがあったことを、本作を通じて想像したくなります。

歴史の細部を紐解くおもしろさがここに

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