2020年頃から全世界的に広がった新型コロナウイルス感染症への影響を鑑み、かっぴー先生から展示場所を失ったアーティストへの支援企画が提案されました。
かっぴー先生はクリエイターやアーティストの活躍を描く群像劇『左ききのエレン』の原作者。さらに美大出身で、大手広告代理店でアートディレクターとして勤務されていた経験もあります。
1年前からコツコツと、コロナに関するチャリティーやクリエイター応援企画をやっておりますが、明日の14時頃からアーティスト•オーマさんとトークさせて頂きます!
微力ですが、無力では無いと信じて、これからもコツコツ続けていきます。
👉このページでやります!https://t.co/BmqJDar2Jf pic.twitter.com/P9Xymn3Teb— かっぴー/左ききのエレン展@帝国ホテル (@nora_ito) June 7, 2021
連載以外にも多くの仕事を抱える中、発信の苦手なアーティストたちの作品が、少しでも多くの人に見つかるように、「アーティストやクリエイター向けの作品の伝え方」について話を聞かせていただきました。
かっぴー先生のプロフィール
1985年神奈川生まれ。株式会社なつやすみ代表。武蔵野美術大学を卒業後、大手広告代理店のアートディレクターとして勤務。マンガ『フェイスブックポリス』が話題となり、2016年にマンガ家として独立。2021年6月現在、『左ききのエレン』をCakesと少年ジャンププラスで連載中。
聞き手:Ouma(オーマ)のプロフィール
元獣医の現代アーティスト。2020年までに上海・フランス・デンマークなど世界10カ国13カ所のアートプログラムに参加。2019-20年Swatchのデザインにアートワークが起用される。人の心の癒しになるアートについて探求している。
目次
- 作品を翻訳してくれる存在との出会いが大事
- 応援したい作品は「言葉にできない」という言葉で伝える
- アートは情報を圧縮できる
- 嘘のない作品に魅力を感じる
- 自分の言葉になると忘れられない
- 言葉で伝えることと表現で伝えることの違い
- 作品と作者の認知度のバランスは
- マンガ制作にプレゼンのスキルが活きている
- 新しい価値をつくっていくとは
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作品を翻訳してくれる存在との出会いが大事
ーーアーティストってけっこう話すのが苦手な人も多いと思うんですね。たとえば人と全く話せないという人が、話し始めるきっかけにできることって何かありますか?
僕は作品について、言葉で伝えなくてもいいんじゃないかと思っていて。要は作品のことを伝える翻訳者がいればいいんですよね。本人が喋れれば便利ですけど、売るための絶対条件かというと、そうでもないというか。
ーー自分以外の人が作品を伝えてくれるようになるってことですね。
アートの場合は、評論家みたいな人が発見してくれ始めてからが勝負かもしれないし。誰に語ってもらうかが大事なんじゃないかな。
あと、全員に伝えることが無理でも、作品を知ってくれる人や興味を持ってくれる人がちょっとずつ出てきた時に、そういう人たちに翻訳してもらうとか。作者が好きなように話してたとしても、分かりやすく整理してくれる人がいると強い。
ーーなるほど。それなら自分の作品に興味を持ってくれた人たちをきっかけに、作品が知れ渡っていくことはありそうですね。ただその場合、自分の意図しない伝え方をされちゃうことってないですか?
僕は自分の意図がちゃんと伝わってなくても、基本的にいいやと思ってます。泣かせようと思ったシーンなのに笑う人がいても、それはその人の感じ方なので。作者とは違う意図であっても、作品をポジティブに楽しんでもらえるのであれば、それでいいって思ってますね。
応援したい作品は「言葉にできない」という言葉で伝える
ーー自分に好きな作品があって、その作品を応援したいけど、自分は話すのが苦手だなっていう場合はいかがでしょうか。『左ききのエレン』が好きで応援したいけど、自分の語彙力だと「よかったー」くらいしか言えない、みたいな場合ですね。
そうですね、マンガの場合はストーリーの一部を引用して伝えるっていうのがやりやすいかも。あとは、Twitterで「良すぎて言葉がなくなる」みたいなの、よくあるじゃないですか。あれで十分なんじゃないですかね。
ーーあー、「すごすぎて何も言えない」みたいなやつですね。
そうそう。作品を見てもらわないとアーティストは始まらないので、あくまで導入という意味では、言葉がなくなるくらいでもいいのかもしれない。アートだとさらに、アートのリテラシーがある人に伝えるのかどうかで違うかなって思います。アートが分かる人同士の会話なら専門的でも響くと思うんですけど。
ーー確かに、話す相手によって話し方が変わりそうです。アーティストさんと話してると、めちゃくちゃ説明してくれる人もいるんですが、つい長くなりすぎちゃうこともあって。長くならない解説のコツみたいなのがあれば聞きたいです。
聞かれるまで答えないくらいがいいんじゃないですかね。解説で全て伝えようとしちゃうと表現としては本末転倒だし、アートの目的って伝えることじゃない気がする。正しく伝えるのであれば、言語ほど優秀なものはないし、言語でカバーしきれないことを伝えてくれるのがアートだと思ってるんですね。
だからあんまり言葉で説明できちゃうと逆にもったいないなって。聞かれたことに答えればそれで十分だと思います
アートは情報を圧縮できる
ーー先ほど、アートの目的って伝えることではないのでは、という話がありましたが、マンガとアートの違いはなんだと思いますか?
アートは情報を圧縮できると思ってますね。僕はニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)にあるアンリ・マティスの「ダンスⅠ」っていう作品が好きで。もともと作品を知っててずっと見たかった作品なんですけど、画像で見たことがあるのに、実物を見た時はずっと見ていられるなって思って。
アンリ・マティスの「ダンスⅠ」(筆者撮影)
これがテキストだったら、画像でも同じ情報じゃないですか。でもたとえば、「ダンスⅠ」を言葉で説明しようとすると15年くらいかかっちゃう、みたいな。
ーーおもしろい!一つの作品にそれだけの情報が凝縮してるってことですね。
嘘のない作品に魅力を感じる
ーーほかにかっぴー先生が惹かれる作品ってありますか?アートでもマンガでも映画でもジャンルは問わずに。
嘘のない作品が好きですね。長久允(ながひさまこと)監督の映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES(ウィーアーリトルゾンビーズ)』とか。もともと大好きで、監督とは前から交流があって。実はこれ、自分も出てるんですよ。
ーーえっ、かっぴー先生が出演されてるんですか?
そうなんです。長久監督は今(2021年現在)、大手広告代理店にいるんですが。働きながら映画を撮るという大変な思いをしてるのに、嘘なんてつけるわけないよねっていう。
ーー長久監督は『そうして私たちはプールに金魚を、』がサンダンス国際映画祭で日本人初グランプリを受賞。初長編となる『WE ARE LITTLE ZOMBIES』が、ベルリン国際映画祭で日本映画初となるスペシャル・メンション賞(準グランプリ)を受賞されています。
自分の言葉になると忘れられない
ーー最近はネットでバズってもすぐに面白いものが出てきて、面白い作品でもすぐ忘れられてしまうってこともあるんじゃないかと思います。
「左ききのエレン」劇中に登場したザ・プレミアム・モルツの広告が渋谷に https://t.co/Wa37WejsIB pic.twitter.com/AeuMHMRrkC— コミックナタリー (@comic_natalie) May 7, 2018
ーー『左ききのエレン』では「ザ・プレミアム・モルツ」とコラボして、夕焼けを見るたびに思い出すという広告を、登場人物の朝倉光一たちがつくり出していたことがありました。作品を忘れさせない、思い出してもらうためにできる工夫や考え方があれば教えてください。
理想論で言えば、自分の言葉になったら忘れないんじゃないですかね。
ーー「自分の言葉」というのは?
たとえば「くそみたいな日にいいもんつくるのがプロだ」とか「オレはオレが諦めるまで諦めない」とか。そういう言葉を自分の言葉として、使ってくれるようになったら忘れないんじゃないかな。
ーーそう言われると「天才になれなかった全ての人へ」っていうのも、かなり強烈なワードとして心に残りますね。
あの言葉は読む人へのクエスチョンになっています。天才っていうのは生まれながらの才能なはずだから、それで言うと天才に「なる」って文章がおかしいんですよ。天才ってなるもんなんだってことになるから。
ーーあー、あとからでも頑張れば天才になれるのかって思っちゃいますね。
そういう価値観を揺さぶれるといいなと。自分も天才になれるのかとか、才能ってなんなのかとか。マンガを通じて考えるきっかけになるから。
ーーアルでも以前、『左ききのエレン』の名セリフ総選挙を行ったことがありましたが、『左ききのエレン』は名セリフが多いっていう人もいますね。作中に自分の心に響く言葉が多い印象です。
言葉で伝えることと表現で伝えることの違い
ーー作品によっては、一般にネガティブに思われそうなものを題材にしてることもありますが、そういう題材を伝えるのに必要なことってありますか。
全部喋っちゃうと良くないみたいなのあるかも。表現の魅力の一つは、抱いてはいけない感情を抱かせることができることだと思っていて。たとえばラップだと不満をまき散らしたり、放送禁止用語をバンバン使ったりすることもありますよね。表現にも過激な部分は必ずある。だけど、それを全部、ちゃんとした言葉にするのは如何なものかっていうのがありますね。
そういう意味では、マンガってキャラクターが言うだけなので楽なんですよ。キャラクターの発言って作者の発言とはまったく別なので。たとえば僕がTwitterで夜中3時に「今寝てるやつはクズ」だとか、柳みたいな発言をつぶやいてしまったらダメですよね。
だから、作品は言っちゃいけないことを言える場所だけど、それを作者が言葉で言ってしまうと違うものになってしまう。そういう意味でも翻訳者が必要なんですよね。
作品と作者の認知度のバランスは
ーーアーティストは作品を見てもらわないと始まらないという話がありましたが。作品について作者から伝えることについてもう少し聞かせてください。
僕は作者が作品の前に立ってはいけないと思っているんですよ。
ーー作品の前に立たない?
自分が作品よりも目立ってはいけないってことです。左ききのエレンは追っかけて読んでくれる人が50万人くらいいて、自分のフォロワーは5万人くらいだからちょうど1割くらいなんですけど。作品を知ってる人の1割くらいが作者にも興味ある、くらいがいいんじゃないかと思ってますね。
【ついにお披露目】
YouTube公開しました!よろしくお願いします。
【試着】AK5 新月 完全解説!【コーデも】 https://t.co/sANOhnL10Q pic.twitter.com/L9tSLuWseb— かっぴー/左ききのエレン展@帝国ホテル (@nora_ito) June 8, 2021
SNSあるあるでフォロワーがめちゃくちゃ多いけど、作品を読んでるのはそのうちの1割みたいな逆転現象が起こってることがあるんです。
ーーなるほど、作者が作品よりも目立っている状態ですね。
はい。作品で勝負するっていう意味では、作者よりも作品が前に出たほうがいい。作者が出ることでお金になる人であればいいけど、僕は作品を読んでもらってお金をもらっているので、作品が前に出たほうがいいんですね。
マンガ制作にプレゼンのスキルが活きている
そう言いつつ、僕、もともとめっちゃ説明するんですよ。これは良くないなって自分でも思ってて、だからここまでの話は自戒です。理想は分かってるけどつい説明しちゃう。
ーーあはは。説明しちゃうんですね。
僕は説明が好きなんです。もっと言うとプレゼンが好き。プレゼン楽しい!マンガにはそういう意味でプレゼンスキルが活きてますね。
マンガには「めくり」っていう効果があるし、ページをめくるリズムやコマのサイズでどう伝えるかとか、あれはプレゼンのリズムなんですね。
ーーマンガとプレゼンのリズムが同じ!
実際に自分が何かをプレゼンする時も、資料の文字をめちゃくちゃ大きくするとか、すごく小さくするみたいなことをします。話した時にみんなが笑う「間」を待つとか。僕は聞いてる人の顔を見ながらニヤニヤ話すタイプで。ここでこう話せば、相手はきっとこう思うだろうっていうのを考えて資料をつくっていたのが、けっこうマンガに活きてる。
マンガ描きながら読者の顔を思い浮かべて、みんながここで「うわー」ってなるだろうなっていうのを想像して、その次のページで今度はこうしてやろうみたいに、ニヤニヤしながらつくるのが好きなんです。そういう意味で作品がプレゼンみたいなもんで。それをさらに自分で「このページはこういう工夫があって」みたいなのを言うのも好き。
ただ、プレゼンとフリートークは全く別物。プレゼンは準備できるから。僕はトークは苦手ですね。好きなことをただ話すのは、伝え方がうまいのとは別だと思ってます。
ーーnoteやYouTubeで作品の解説をけっこうされてますよね。YouTubeの『左ききのエレン』に出てくるキャラクター名の由来解説動画を見たんですが、名前の付け方にすごくこだわりがあって驚きました。
ーーかっぴー先生自身の解説を見ると、『左ききのエレン』は細かいところまでこだわってつくられてるのが分かります。
そうですね。だけどそれを押し付けると、見る人の見方を狭めちゃうから。だからnoteとかYouTubeまで見に来ちゃったら、それはしょうがないっていう感じで。結局、noteもYouTubeも自分の店じゃないですか。Twitterは路上で喋ってる感じがするからもっと公共の場。だからTwitterであんまり自分の話ばかりしててもいけないし。
ーーTwitterは路上ライブをたまたま耳にした感じ。noteやYouTubeは店舗に足を運んでる感じですね。
noteとかYouTubeとかインスタとかに来てくれる人は、わざわざ来てるから。だったらここでは自分の話させてって分けています。
『左ききのエレン』はくり返して読んで欲しいと思って描いているんですけど、それは自分の好きな作品が完結した途端に供給が止まっちゃうのを、すごく寂しいって思ってるから。僕の場合はnoteやYouTubeでけっこうな分量しゃべってるから、気になった時に余韻に浸れるものは残してると思います。
ーー正体不明のグラフィティアーティスト“EREN THE SOUTHPAW” が、ニューヨークの若者たちに発見されて追いかけられている動画がYouTubeにアップされてました。
ーーちょうどエレンの着てるコート「AK5 新月(NEW BLACK)」の制作を記念した展覧会「左ききのエレン展 -新月の誕生-」が、2021年6月19日(土)から7月10日(土)まで帝国ホテルプラザ東京2階「Collection.jc」で開催されます。
ーー作中で、岸アンナというデザイナーが自身のファッションブランドで「AK5 新月」というコートを発表した時にも、同じように若者たちがエレンの正体を追いかけて暴こうとしていたシーンがありました。物語と現実がリンクしていくのは、他のマンガではあまり見ない『左ききのエレン』ならではの魅力ですよね。
新しい価値をつくっていくとは
ーーあらゆる表現は絵画だったりマンガだったり、フォーマットはありますが、作品自体はこの世になかったものです。そうして新しく生み出されたものに価値をつくる、価値を上げるためには、どういうことを考えたらいいでしょうか?
価値とかはあんまり考えてないかもしれないですね。マンガは別にマンガなので。僕は新しいことが好きだけど、マンガ家の活躍の場を広げるとかそういうことはぜんぜん考えてなくて。どちらかというと、自分がやりたいからやってるだけです。マンガも描きたいから描いてる。だからそれを読んでくれれば、それ以上は望まないですね。
ーーとはいえ、やりたいことをやって、それだけで生活できる人はまだ少ない気がしています。クリエイティブの世界には「がんばったで賞」なんてないので仕方ないのかもしれませんが。
なんでしょうね。本当に自分がおもしろければいいんじゃないかな。
ビジネスだったら、ここをもうちょっと改良したら売れるとかあるかもしれないけど。市場的にはあっちが求められているから、あっちでトライアンドエラーしてビジネスを成功させるみたいなのはあるかもしれない。でも、マンガとかアートとか、表現はビジネスではないと僕は思ってる。
僕はやりたいことやって食ってけるなら、そっちのほうがいいなと思ってた。だから自分のやりたいこととは全く違うことをやって成功しても全く意味がなくて。こっちのほうが売れるよって言われてやって本当に売れたとしても、それ俺の作品じゃねーしって思っちゃうかも。
自分の表現がお金にならないと思ったら、バイトでも何でもお金を稼いで表現していくのがいいのかも。表現がお金になればいいけど、なんなくてもいいんじゃないかって思いますね。たとえば企業と仕事をして、お金を稼ぐための表現をしながら、本当にやりたいのはこっちです、みたいなのでもいいと思うし。
あっちのほうが売れるよって言われて、そっちに寄せるのであれば、表現する意味がないと思ってるので、もし食えなくなったらバイトしますっていうくらいでいいんじゃないかな。
作品の伝え方や覚えてもらうための秘訣だけでなく、表現の魅力や作者と作品との関係性まで、幅広いお話が伺えました。お忙しい中ありがとうございました!
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