野球の光と影。眩しいスポットライトを浴びる者もいれば、諦めるという選択をした者もいるでしょう。『忘却バッテリー』は、そんな野球を「諦めた」彼らがそのきっかけとなった天才バッテリーとの再会するところから物語が始まります。
まさか、あの天才コンビがこのありふれた都立高校にいるなんて。元球児たちの驚きと戸惑いを余所に、ここで新しく野球を始めるというバッテリーに知らず知らず引き込まれていく元球児たちを描く本作は、野球とセットで語られる情熱や思い、そして特徴でもある強烈なギャグという二面性が見どころになっています。
野球をやめた苦い記憶は、再び始めるきっかけに
中学で励んだシニアでの野球生活にけじめをつけ、野球部のない高校で新しいチャプターをスタートさせるはずであった山田太郎が、またもや野球と巡り合うところから物語は始まります。
彼を待ち受けていたのは、中学時代、圧倒的才能を発揮し名をはせていた天才バッテリーの投手、清峰葉流火(きよみねはるか)と捕手、要圭(かなめけい)。奇しくも、シニア時代の試合でこのバッテリーと対峙していた山田は、彼らの才能の前に打ち砕かれた過去を持ちます。野球部のない平凡な都立高校になぜこの二人が…?
山田を始めとする元球児たちの、野球をやめたきっかけとなっていた天才バッテリーとの望まぬ再縁。思ってたんと違う高校生活に巻き込まれていく彼らでしたが、野球という唯一の共通言語と共に、過去と今を交差させながらもう一度野球と向き合い始めます。
異才たちを支える凡庸という才能、山田太郎
天才バッテリーの二人に誘われるがまま、かろうじて機能していた野球愛好会に所属することとなった山田。シニアで培ってきたスキルも彼ら天才の前ではさすがに霞んでしまいますが、試合中の大切な瞬間や不穏な空気が漂うタイミングではほっとさせてくれたり、時にはモチベーションが上がる言葉を届けてくれたりと、精神面の要となってチームを支えるのが山田なのです。
そんな彼の、野球同好会のくせ者(紙一重)たちに対するリアクション・心の声がやみつきになってしまう読者は少なくないのではないでしょうか。あくまで常識的な思考を持ち合わせている彼と、天才たちとのギャップが生み出すツッコミは、物語に緩急をつけるハイライトとなっています。
こんな具合に、山田も単に人当たりが良く温厚なだけでなく、心の声ではためらいもなく直球をぶち込んでくるので油断できません。天才の紙一重感を際立たせている山田節のおかげで、ページをめくる度に笑っているんじゃないかと思うくらいに贅沢なお笑い濃度なのです。
それぞれの過去が、野球という座標で交じり合う
天才バッテリーと呼称された二人があまたの強豪からのスカウトを断り、山田と同じ都立に入学したのは、投手:清峰が捕手:要と野球をするためでした。しかし、要は記憶喪失になり、野球をやっていた頃の記憶も失くしてしまい、アホになっていたのです。
未来を約束された天才二人に降りかかった災難と、山田を含む元球児(天才)たちの挫折が奇妙に重なり合い、都立小手指高校で彼らを出会わせたのでした。
深く刻まれた過去の傷を負う者たち、輝かしい記憶を全て喪失した者。イビツながらも、ライバルであった者同士でチームを形作りながら、一人一人の過去が紐解かれていく様子は、先の山田節と不思議と調和し、情緒を帯びているのです。
才能の影に隠れていた苦悩を山田といういわゆる凡人の目線で垣間見る瞬間は、彼らに心惹きつけられる瞬間とも言えるでしょう。豪快なホームランというわけにはいきませんが、模索しながら各々のペースで塁を進み、野球というホームベースに還ってくる都立小手指高校、野球愛好会のチームメイトたち。彼らが再び球児となる表情は一番の見どころとなっています。
球児のルーツはどこまでもシンプルに
一人ひとり背負ったものは違えど、砕かれ砕きあった仲ゆえ、互いの勇気や思いが伝播してチーム全体がアップデートされていく様子はとても心地良く球児たちの心情にぴったりとくっついてしまいます。過去は消えません。だからこそ、目の前の現実にフルスイングする球児たちは、やっぱり野球愛好家なのだなとホクホクせずにはいられない、そんな作品なのです。
忘れてこそ思い出すもの
本記事は、2021年度4月にアルのライターとして加入した新人の皆様の最初の記事をGWに一挙公開する「Golden Rookie Week企画」の一本として掲載されています。ニューカマー達の活躍を今後も見守ってあげて下さい!