おかえりアリス

押見修造 / 著

性と生の物語『おかえりアリス』第3巻発売。魅惑の存在 慧ちゃんが読者に投げかけるもの

いびつな青春を描き続けるマンガ家 押見修造先生の『おかえりアリス』第3巻が2021年10月8日に発売されました。

本記事では第2巻までのあらすじを紹介し、本作の重要人物 慧ちゃんの存在が私たちに投げかけるメッセージについて考察。彼が人を惹きつける理由を探ります。

「男を降りた」慧ちゃんが平穏を破る

亀川洋平、室田慧、三谷結衣の3人は幼なじみ。中学時代、洋平が結衣に、結衣が慧に恋愛感情をもちはじめた頃、慧は突然転校してしまいます。そして高校生になり「男を降りた」慧が戻ってきて……再会の日からすべてが狂いはじめる青春物語です。

男を降りる前と後、どちらの慧ちゃんも美しい。

慧は洋平と結衣を集めて双方とキスをしてみたり、洋平の家に押しかけて迫ったりと不可解な振る舞いをしつつも、結衣を想い続けてきた洋平を「応援する」と言います。一方で慧と洋平の親密さにくやしさを感じる結衣。第2巻の終わりで、ついに洋平と結衣がつきあうことになりますが……?

男だとか女だとか、好きだとか

慧に迫られ興奮したことを、女の子みたいな見た目に惑わされただけと言い張る洋平。慧に女性としてのプライドを傷つけられ焦りを感じる結衣。誰かのことを”好き”になる人たち……。しかし慧には自分が男だとか女だとかいうことも、相手を独占したい"好き"の気持ちもしっくり来ません。

…男を降りた… 降りて…どこへ行こうって…思ったとき… 僕は…「こういう風」になるのを選んだ でも… まだ分かんない どこへ行けばいいのか 洋ちゃん 教えてくれない?

おかえりアリス(2) (週刊少年マガジンコミックス)
押見修造/著

作中では、洋平にかけられた「"男"としてこうあらねば」という呪いを慧が解きほぐし、洋平が少しずつそこに安らぎを見つけていくような描写が見られます。

男が、女が、好きという気持ちがどうあるべきかなんてはじめから「ある」ものではない。それらは社会のなかで構築されている主流な考え方にすぎません。慧という存在はすべてのものの「不確かさ」を投げかけているのです。

私が「ある」のでなく、そのとき私に「なる」

そもそも多くの人は、”本当の私”が自分の奥底に「ある」と思い込んでいる。だから人は自分が思いがけない行動や考えをしたときに「私って"本当は"こんな人間だったんだ」とショックを受けたり「ちがう、私は"本当は"こんな人間じゃない」と感じたりします。しかし"本当の私"とはいったい何で、どこに「ある」のでしょうか?

慧が実践しているのは、私に「なる」という生き方。”本当の私”という幻影を捨て、いまここに現れた私を受け入れることです。私という生き物がどんな存在かなんてわからない。いつも不確かな存在こそが人間。

性と生をまっすぐ見つめ、曖昧なままの自分を受け入れる覚悟をした正直な人。「こうあるべき」という社会の常識や、"本当の私"という幻想のなかで生きる者の安心感を揺るがすと同時に、その息苦しさから解き放つ存在だからこそ、慧は魅惑的なのです。

どんな君も君なんだよ、と「赦し」をくれる慧ちゃんに惹きつけられます。

性と生の探究者 押見修造

押見先生はあとがきで、自分が「性欲を持った男」であることがとてもつらいと話しています。

僕が生きているこの社会の中で、男は皆性欲を持っているとされています。それを持たないと変な目で見られます。(中略)実際に言われずとも、僕の中の”男”が言うのです。おまえは”男”としてダメだ、と。

おかえりアリス(1) (週刊少年マガジンコミックス)
押見修造/著

自身の中に同居する純粋さと変態性を暴いた『惡の華』や、「女の子になりたい」という当時の願望をもとに描かれた『ぼくは麻理のなか』など、これまでの作品でも性的な事柄を通して私という存在と向き合ってきた押見先生。

性を考えることは、生を考えること。性と生の不確かさを核に据えた物語はこれからどんな方向へ進んでいくのでしょうか。

『おかえりアリス』というタイトルの意味や慧の「洋ちゃんは…僕の”もう片方”だから……」というセリフなど謎が多く、この先なにか衝撃的な展開が待ち受けている予感。ストーリーを追いながら、あなたも曖昧な存在としての自分をまっすぐに見つめてみませんか。

慧ちゃんはいつもあなたに問いかける

おかえりアリス(3) (週刊少年マガジンコミックス)
押見修造/著