新九郎、奔る!

ゆうきまさみ

コマ投稿OK

「友達が喜ぶ作品を描く」画業40周年・ゆうきまさみ先生の新人時代

2020年に40周年を迎えたマンガ雑誌「スピリッツ」が、この節目に「創刊40周年記念 連載確約漫画賞」を創設しました。

その名の通り、大賞受賞作はスピリッツでの連載権を譲渡されます。そしてこの漫画賞、審査員もめちゃくちゃ豪華です。

公式ホームページには「特別審査員陣」として、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』浅野いにお先生、『映像研には手を出すな!』大童澄瞳先生、『あさひなぐ』こざき亜衣先生、『新九郎、奔る!』ゆうきまさみ先生の名前が挙げられています。

さらに「スペシャルゲスト審査員」として、映画『アイアムアヒーロー』、ドラマ『重版出来!』、『MIU404』などの脚本を務めた野木亜紀子さんも参加。

この漫画賞の開催にあたり、審査員をつとめる4人の漫画家さんの新人時代について、スピリッツ編集部が取材・構成したインタビュー記事をアルにて独占掲載!

第二回に登場するのは、『新九郎、奔る!』ゆうきまさみ先生です。

機動警察パトレイバー』や『究極超人あ~る』をはじめ数々の作品を世に送り出し、画業40周年を迎えたゆうき先生のマンガ家デビューは、新人賞への投稿などではなく友人の紹介だったのだとか。

そんなゆうき先生が40年間、誰に向けてどんな想いでマンガを生み出してきたのかを伺いました。

マンガ家さんのプロフィール

ゆうきまさみ YUUKI Masami

1980年『ざ・ライバル』(「月刊OUT」みのり書房)でデビュー。『機動警察パトレイバー』にて第36回小学館漫画賞を受賞。代表作に『究極超人あ~る』、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』、『鉄腕バーディー』、『白暮のクロニクル』などがある。現在は「週刊ビッグコミックスピリッツ」で『新九郎、奔る!』、「月刊ニュータイプ」(KADOKAWA)で『ゆうきまさみのはてしない物語』を連載中。

何を描くか迷ったら、友達を思い浮かべたらいい

ーー画業40周年、おめでとうございます。今回はデビュー秘話…ということなんですが、そもそもゆうきさんは新人賞などを経ずにマンガ家デビューをされたんですよね。

そうなんです。初めて商業誌でマンガを描いたきっかけは友人の紹介で。「月刊OUT」編集部の方から「何か描いて持ってきてよ」と言われて…という感じでしたからね。


今とは時代が違うというのもあるけれど、賞をいただいてデビューというわけではないので、デビューを目指す人の参考になるかどうかはわかりませんが大丈夫かな(笑)。

ーーデビュー当時はアニパロ(※アニメのパロディマンガ)を描かれていたわけですが、そこからオリジナルの連載マンガを描くようになったのは何故ですか?

アニパロのアイデアを出すのが辛くなってきて、続き物のほうがいいかなと思ったんじゃなかったかな。


ちょうどその頃に、安彦良和さんから「オリジナル作品を描きなさい」という言葉をいただいて、いいチャンスだと思って「オリジナルをやってもいいか」と編集部に聞いたら、「別にいいよ」みたいな感じで。


そうして始まったのが『マジカルルシィ』と『ヤマトタケルの冒険』です。

ーーその頃には会社を辞めてマンガ家一本に絞っていたんですよね。連載はアシスタント無しで描いていたんですか?

『ヤマトタケルの冒険』の1話とかは一人で描いていたのかな。でも当時から一人ではなかなか原稿が上がらなくてね。


なんだかんだで同じアパートに住んでいたしげの秀一君に手伝ってもらったりしていたはずです。

ーーその後、アニメ誌から「週刊少年サンデー」に活躍の場を移すことになりますが、それはどういう経緯だったのでしょうか?

これもまた人の縁なんです。『マジカルルシィ』を連載していた「アニメック」編集部で知り合った出渕裕君から紹介された、「パラレル・クリエーション」という事務所で出会った小学館の編集者になぜか気に入られて。


最初は「サンデーで描かないか」と言われて。余裕がなくて断っていたのに、「もう台割に入れちゃったから」って(笑)。そうして増刊に読み切りを描くことになって。


その翌年には「短期集中連載を入れたから描きなさい」と言われて、みんなでニューカレドニアに旅行に行く予定を立てていたのに僕だけ行けなかった(笑)。

ーーある意味、とんとん拍子ですね。

たぶん、短期集中連載が「こいつは連載でやれるやつなのかな」というテストだったんじゃないかなと。


それでまずは月刊で『鉄腕バーディー』が始まって、その後『究極超人あ~る』の週刊連載、となりました。

ーーはじめての週刊連載はどうでしたか?

それが「週刊少年サンデー」で描き始めてからずっとついてくれていた編集さんが連載開始の直前に異動しちゃったんですよ。


初めての週刊なのに直前で担当さんが変わっちゃうという(笑)。


その出来事が印象深いです。当時はきっと大変だったんだと思うんだけれど、35年も経つと色々と忘れちゃうよね。

ーー「週刊少年サンデー」での連載となるとアニパロを描いていた頃に比べて読者層はじめ、変化は大きかったのではないでしょうか?

そうですね。少年誌で、メジャー誌ですからね。そんな雑誌で不特定多数に向けてマンガを描くみたいなのはおっかなくてできないよ、という気持ちはありました。


だから『究極超人あ~る』なんかはこのネタを入れたら自分の友人・知人が絶対に喜ぶなという、顔の見える読者を想定して描いてましたね。

ーー身近な人に向けて描く、と。

はい。好みの部分も自分と重なっていましたし。読者が明確にイメージできます。


今もそのへんは変わっていないと思うので、もし何を描くか迷ったら、友達を思い浮かべたらいいと思いますよ。それもできるだけいろんな種類の人がいたほうがいい。

新作はいつも読者の半分がいなくなるつもりでやっている

ーー初めて自分の単行本が出たときはどう思われましたか?

1冊にまとまったな、くらいであまり感慨はなかったかな。単行本になると思っていなかったので、本にするよと言われたときは、感動よりも売れるのかなと心配になった(笑)。

ーー「週刊少年サンデー」での連載に移ってからでもですか?

『究極超人あ~る』以降もずっと変わらない。今でも自分のマンガが平積みされているのを見ると、売れ残っているのかなと思っちゃう。


僕は毎回、新作を始めるときは前作の読者を裏切るなあというところがあるので、いつでも不安です。

ーー前作と方向性を変えるのは意識的にやっているんですか。

描いたことのないジャンルに挑戦してみたいという気持ちはあります。あと、自分が飽きる、というのもある。


『機動警察パトレイバー』を始めたときも当時の編集長に「『究極超人あ~る』の読者の半分はいなくなると思います」と伝えました。


新作はいつも読者の半分がいなくなるつもりでやっています。そのぶん、新しい読者さんを捕まえられるように頑張っています。

マンガはもっとゆるくていい

ーーもしマンガ家デビュー前の自分にアドバイスするとしたら、何と言いますか?

本当に心から「そのままでいいから、それでいけ」と言うと思います。向こうからやってくる波に抵抗することなく、ぷかーっと浮かんで流されろって(笑)。

ーー出会いやチャンスを大事にしろということですね。

そう、人の縁と流れをつかむことは大事。『マジカルルシィ』を描きはじめて「アニメック」の編集部で出渕君を紹介されていなければ、『機動警察パトレイバー』を描いてなかったでしょうから。

ーー最後に、ゆうきさんから今の新人マンガ家さんにアドバイスやエールをお願いします。

アドバイスなんて大層なことは言えないけれど、最近のマンガはみんなすごく真面目だなあと思います。


その真面目さに感心する反面、僕なんかはもう少しゆるっとした部分があるほうがいいんじゃないかと思っていて。


だからあまり自分の中でガチガチに決めちゃわずに、無駄な部分があってもいいんじゃないかな、と。


勉強にもならない、知識も身につかない、生きていく指針にもならない。でも読んでいる間は面白かったっていう。


そんな、話は忘れちゃってもいいくらいの何の役にも立たないマンガが理想なんだけれど、自分ではまだできていないので、若い人にはそういうマンガを目指してほしいなと思いますし、読みたいです。

ーー読後に「面白かった」という感情を残せればそれでOKみたいな。

そう、マンガっていうのは懐が広いものだからね。どーーーんと飛び込んでいろんな挑戦をしてほしいなと思いますね。

文:平岩真輔


「スピリッツ創刊40周年記念 連載確約漫画賞」ご応募の詳細はこちらから。


ゆうき先生の画業40周年企画である「ゆうきまさみ展」が東京ドームシティ Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)にて2021年1月11日(月・祝)まで開催中です。

公式ホームページにて開催概要や「新型コロナウイルス感染拡大防止の注意事項」をご確認の上、ぜひ会場へ足をお運びください!

以下、「ゆうきまさみ展」の展示の様子を掲載します。