東京 (28)
僕は映画から入ったクチで、、陳腐でありきたりな物語だなぁーと思い始めた残り20分。”井上芽衣子”演じる宮崎あおいちゃんの一生懸命な歌に心震わせられ、そのままアジカンの『ソラニン』を延々と毎日リピートするほどハマりました。 そして、新装版のマンガ『ソラニン』が発売されていることを知り、すかさず入手し読み始めました。 マンガ『ソラニン』では『ソラニン』がどう歌われているのだろうか。映画を観たあと、僕がマンガも手に取った理由はそこだった。 ライブのシーンは、やはり映画同様、最後の数ページで描かれている。映画では流し気味で観ていた「1時間50分」の部分を、今度は食い入るように台詞を追っている自分がいた。映画では演技のみで表現されている部分に、マンガには文字が振られていたからだ。あのシーンはそういうことだったのか。新たな発見もあった。 そして、目的である最後の数ページに差し掛かる。『ソラニン』を歌う部分だ。ライブハウスにガンガン音を鳴らしていた映画とは対照的に、マンガでは画だけの描写が続いた。当然のことだが、そこに音はない。いや、当然ではないんだ。ギターやドラム、ベースの擬音やオーディエンスの歓声も、"芽衣子"が発しているはずの声もない無音の描写が続いた。僕は映画を観た後だから、このシーンの描写では自然と『ソラニン』が耳に流れてくるだろうと思っていた。しかし、そうはならなかった。描写通りの無音のライブハウスに僕はいた。ただ、不思議とそこにある熱気だけが伝わっていた。浅野いにお先生が伝えたかった部分はそこだったのだろうか。僕はそう受け取ることにしたよ。 僕が思うに『ソラニン』は、マンガの、音楽の、映画の、3つ「ソラニン」が集まって1つの作品を創り上げている。同じタイトルの3つの作品が起こす化学変化を人それぞれ楽しめるようにできた稀有な作品だ。これから『ソラニン』の世界に入り込もうとしている人は、漫画、音楽、映画どれからでもいいと思います。漫画から入った人は、もう映画を観たくて観たくてたまらないはず(笑)音楽から入った人は音楽のその世界観が、漫画で、映画で、どう表現されているか確かめてみるといい。そのうちに、音楽を聴いては漫画を読み、漫画を読んでは映画を観て、映画を観たら音楽を聴いて、と中毒にも似た無限ループに突入するだろう。毒されていくそんな僕らを予言したかのように、ジャガイモの持つ毒をタイトルに付けた浅野いにお先生のそのセンスにもう感服するしかない。
2019年 08月 17日